スポーツを書くということは人間を書くこと

[ 2016年9月12日 09:00 ]

 【君島圭介のスポーツと人間】新聞記者もサラリーマンだが、徒弟制度が存在する。少なくとも私には師匠がいる。小出義雄や五輪関係の著作を持つフリーライターの満薗文博は、私が以前勤務していた新聞社で駆け出しの頃のデスクだった。

 現場から電話で伝える取材内容を「いいぞ。それは面白い」と楽しんでくれる。その一言に励まされ、育てられた。酒席が教室だ。新聞社の仕事が終わるのは深夜1時過ぎ。そこから屋台のおでん屋に始まり、場末のバーを経由して明け方には満薗の自宅にたどり着いた。ご家族には本当に迷惑をかけた。「人間を書け!」が口癖だった。凄いのはそんな弟子が一人や二人ではないこと。師と仰ぐ記者は今も多い。

 師弟関係は続いたが勤務する新聞社が変わると、そこに「競争相手」の要素も加わった。02年12月の福岡国際マラソンの取材で一緒になった。シドニー五輪で惨敗した日本のエースが復活を期したレース。記者室のモニターで展開を追っていたが、ゴールの平和台競技場の手前でその走者が動きを止めた。完全なブレーキ。ふらついて今にも棄権しそうだった。

 私は記者室を飛び出した。走者が全身から発する苦悶、無念、そして意地を自分の目で見て肌で感じたかった。現場まで走ると、路肩に倒れそうな走者の側にはすでに満薗がいた。順位も記録も望めないが、走者から最後の一滴までエネルギーを使っても走り抜く覚悟が伝わった。競技場を一周し、36番目でゴールした走者は最後にわずかに両腕を広げ崩れ落ちた。私は胸を打たれたが、そこに満薗がいないことには気づかなかった。

 その夜の打ち上げ。「おまえはゴールのときどこにいた」と聞かれた。一番、そばで見ていたと自慢すると、「わしはスタンドにおった。あいつの奥さんと息子がいたから」。がくぜんとした。ゴールの瞬間、自分が一番近くで目撃したと錯覚したが、満園は走者が誰より愛する者の目を通して見ていた。翌日、同じレースを書いた原稿を読み比べた。大惨敗だった。

 ある日、ラーメンが食べたいという満薗を一席ごと仕切られ、のれんで目隠しがある人気店に連れて行った。満薗はラーメンに箸も付けず席を蹴った。「わしは人間を書くのが仕事だ」。本気で怒られた。その足でカウンター越しに湯気にまみれたオヤジが作る古いラーメン屋に連れて行かれた。満薗は「人の顔が見えるとうまいな」とご機嫌で麺をすすっている。この人には一生勝てないと思った。

 スポーツを書くということは人間を書くこと。人間を書くということは、相手の人生に一瞬でも寄り添うこと。大事なことは師から教えられた。(専門委員、敬称略)

 ◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。

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2016年9月12日のニュース