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釜本邦茂さん 代名詞「右45度」を生んだセンスと圧倒的練習量 日本サッカー界のためにヌードにも

[ 2025年8月10日 14:11 ]

1984年、東京・国立競技場で行われた引退試合で胴上げされる釜本邦茂さん。元ブラジル代表ペレさん(左下)も友情参加
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 1968年メキシコ五輪銅メダリストで、日本サッカー界を代表するストライカーとして活躍した釜本邦茂さんが10日に大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。同日にJリーグが発表した。京都府出身。2023年9月ごろから誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。昨年の秋に手術を受け、一時、回復したものの療養を続ける中で、6月中旬に容体が悪化した。

 釜本さんは、日本代表では233試合で155得点。日本リーグでは通算251試合202得点と、ストライカーとして不滅の記録を残している。数字が物語る通りにシュートにはこだわりを持っていた。代名詞の「右45度」、ドリブルでゴール右に切れ込み、右斜めからのシュートには絶対の自信を持っていたし、左ウイングの杉山隆一さんのセンタリングをゴール前で受けてシュートするのも得意だった。だが、ともにセンスだけではなく、誰にも負けない練習量のたまものだった。

日本代表の合宿では、全体練習終了後に毎日100本ぐらい杉山さんのセンタリングを受けてシュートしたという。「もっと受けやすく出せ」「いや、こっちの状況を見て要求しろ」とけんか腰でやり合いながら、練習したという。おかげであうんの呼吸でできるようになった。早大やヤンマーではシュート板に向かって毎日ひとりで200本ぐらいシュート練習したという話も聞いたことがある。体が自然に反応するまで極めたからこそ、積み上げられたゴール数だった。

 今から10年ほど前にインタビューしたときに釜本さんが言っていたことで印象に残っていることがある。「チョン、チョンとパスをつなぐサッカーは面白くない」と、近年の短いパスをつなぐポゼッションサッカーにダメ出ししていたことだ。やはり釜本さんにとっては豪快なシュートがサッカーそのものだったのだろう。

 日本年間最優秀選手(MVP)7度。日本リーグ得点王7度。05年に日本サッカー殿堂掲額と日本サッカー史にさんぜんと輝く金字塔を打ち立てた。記憶にも記録にも残る選手だった。現役引退後の1984年には日本サッカーリーグのポスターでヌードを披露し、日本サッカー界のためにひと肌抜いだこともあった。

 1968年メキシコ五輪後にいくつものヨーロッパのチームから誘われたが、ウイルス性肝炎にかかり、実現しなかったという。もし、実現していたら、Jリーグはもっと早くできていたかも知れないし、日本代表ももっと早くW杯に出場していたかもしれない。(大西 純一特別編集委員)

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