×

【井原正巳 我が道20】日本に合わなかったファルカン 足りなかった個人の能力

[ 2025年7月21日 07:00 ]

ファルカン監督のサッカーは日本に合わなかった
Photo By スポニチ

 ドーハから帰国し、93年第2ステージの残りの日程を消化したが、横浜マリノスは3位だった。12月の天皇杯は初戦で左足首を捻挫してしまい、けっこう長引いた。翌年2月に横浜Mはアルゼンチンで合宿したが、私はリハビリをしながら参加した。それでも、「次のW杯は30歳だが、この借りはW杯のピッチで返すしかない」と思っていた。

 日本代表もオフト監督に代わって、元ブラジル代表MFのファルカンが監督に就任した。ジーコらと黄金のカルテットと言われた名手だ。W杯米国大会アジア最終予選で、わずかな差でW杯初出場を逃した反省から、「監督には世界を経験している人」と、日本の成長を目指した選考だった。

 選手選考はオフト監督とは違う視点があった。GK菊池新吉、DF森山佳郎、遠藤昌浩、名塚善寛、MF前園真聖、岩本輝雄、FW小倉隆史ら新しい選手が選ばれ、刺激になった。ディフェンスは3バックで、私が中央で右が名塚、左が遠藤。代表合宿ではフィジカルのトレーニングが多く、きつかった。最初の大会がキリンカップで、オーストラリア、フランスと対戦。フランスは日本と同様にW杯米国大会出場を逃したが、次回自国開催へ向けて、強化していた。FWパパン、DFテュラム、デサイーらがいて1―4で完敗、FW小倉の振り向きざまのゴールで一矢を報いたが、力の差を痛感した。オフト監督時代にアルゼンチンと対戦して世界の基準を知ったが、こうして強豪国と対戦することで、自分たちの立ち位置を知ることができた。

 10月の広島アジア大会は優勝を目標にしていて、日本代表は選手村に入らず、独自にホテルを取って、試合に集中した。1次リーグでアラブ首長国連邦(UAE)、カタール、ミャンマーと1勝2分けで準々決勝に進出し、韓国と対戦した。日本は韓国に対する苦手意識はなくなっていたが、韓国もW杯米国大会に出場して自信をつけていた。日本が先制したが、その後2失点、後半41分に私の30メートルのミドルシュートで追いついたが、44分に私がペナルティーエリア内でファウルを取られてPKを決められ敗退した。「W杯米国大会に出場した韓国を相手にどこまでできるか」と思っていたが、韓国は球際が激しく、プレー強度も高く、メンタル的にも日本に対する闘志が以前のように戻っていると感じた。

 韓国戦は1次リーグで日本と対戦したUAEの主審が割り当てられた。普通は公平性から対戦した国の審判が割り当てられることはない。大会後にファルカン監督が解任されたこともあって、後味の悪い試合だったが、負けは負け、力の差を認めるしかない。ただ、ファルカン監督の練習や戦い方、戦術などは日本人には合わないと感じていた。ブラジルの選手にはできて当たり前という、個の能力の高さを前提にしていたが、日本はまだそのレベルまで行っていなかった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

続きを表示

この記事のフォト

「サッカーコラム」特集記事

「日本代表(侍ブルー)」特集記事

サッカーの2025年7月21日のニュース