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【井原正巳 我が道8】加藤久さんの後継者で初代表 横山ジャパンの一員として中東遠征へ

[ 2025年7月8日 07:00 ]

日本代表デビューのUAE戦(前列左が筆者)
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 筑波大学1年生の時は、5月のアジアユースに続いて、7月17日から8月7日まで、日本代表のB代表にあたるジュニア代表に選出されて、南米に遠征した。アジアから出たのは初めてで、監督は山口芳忠さん。日本リーグの若手と大学生で編成され、5月のアジアユース代表からは私と中山雅史が選ばれた。エコノミークラスで米国を経由し、丸1日かけてアルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ行った。現地で練習しながら、現地のクラブチームや選抜チームと対戦。初戦でブエノスアイレス州立銀行と引き分け、第3戦はアルゼンチンリーグの前座試合で、コルドバ州ジュニア選抜に3―0で勝った記憶がある。さらにブラジルに行って2試合戦い、通算成績は1勝1分け3敗だった。私は全試合にフル出場し、「やっていける」と、DFとしての自信もついた。

 プロリーグの試合も観戦。まだ「世界」という視点を持っていなかったので、サッカーの違いを感じた。試合でも1対1や相手との駆け引きなど、日本でやってきたものと全然違った。したたかで技術的な違いもあった。DFになってまだ8カ月だったが、「DFになったから、日本代表に選ばれ、こういうチャンスをもらえた」と、運命に感謝した。

 この遠征で、試合以上に記憶に残っているのは、コインランドリーに通ったことだ。ジュニア代表は用具係がいないので、練習が終わると、一番年下の私と中山が先輩たちの練習着を集めて、ホテル近くのコインランドリーへ行った。約1時間、洗濯が終わると、先輩たちに渡して各自で部屋に干してもらった。練習は午前と午後の2度あったので、洗濯も昼と夕方の2度。おかげで部屋でくつろぐ時間はなかった。

 筑波大学では1年生から試合に使ってもらったが、最初は守備的中盤が多かった。ユース代表やジュニア代表ではCB、大学ではMFだが、違うポジションをやるのもいい経験だった。

 2年生の1988年(昭63)1月上旬、サッカー部の山中邦夫先生に教官室に呼ばれ、「日本代表に選ばれたぞ」と、伝えられた。前年9~10月のソウル五輪予選であと一歩まで行きながら出場権を逃し、石井義信監督が退任、横山謙三監督が就任した。1月下旬から中東遠征があり、メンバーも若返りした。柱谷哲二さん(日産)や前田治さん(東海大)らも新たに招集された。CBはそれまで日本代表をキャプテンとして引っ張ってきた加藤久さんが長年務めていたポジションで、加藤さんが外れていた。後継者ということになるが、「そんなところに行っていいのか」と思う半面、「このまま選ばれ続けたい、自分を伸ばしたい」という気持ちもあった。そして、「私を選んだのはサッカー協会、やれることをやるだけ。落とされたら仕方がない。思い切ってやろう」と開き直る気持ちだった。

 ◇井原 正巳(いはら・まさみ)1967年(昭42)9月18日生まれ、滋賀県出身の57歳。守山高から筑波大を経て横浜Mの前身の日産入り。磐田と浦和でもプレー。アジアの壁と言われ、大学2年生の時に日本代表入り、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜を経験、98年W杯フランス大会に主将として出場。代表通算122試合。引退後は北京五輪代表コーチ、柏コーチ、福岡監督、柏監督を務めた。現在は解説者、6月にU―20Jリーグ選抜監督も務めた。7月から韓国2部・水原コーチ。

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