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カズ J30年の思い出語る 浦和のACL制覇称え「世界に誇れる雰囲気」

[ 2023年5月8日 00:12 ]

 Jリーグ開幕30周年を前に、オンライン取材に応じる三浦知良=7日
Photo By 共同

 ポルトガル2部オリベイレンセの元日本代表FW三浦知良(56)が7日、Jリーグ開幕30年を迎える15日の「Jリーグの日」を前にオンラインで取材対応した。

 カズはV川崎(現東京V)のエースとして、国立競技場で行われた93年5月15日のJリーグ開幕戦、横浜M戦に先発出場。プロ38年目、Jリーグ開幕戦に出場した唯一の現役選手が当時の思い出を語った。

 ――Jリーグ30年の思い出や印象に残っていることは?
 「正直言ってあっという間だったなと思います。最初にJリーグ元年に優勝したV川崎でプレーしていた頃が思い出深く、記憶に残っている。たくさんのタイトルを獲ったのがいい思い出になっています。ヴェルディだけじゃなく、京都サンガ、ヴィッセル神戸、横浜FCといろんなチームを渡り歩いて、各クラブ、地域で本当にいろんな人に支えられた。いろんな地域で貢献できたかどうかはまだ現在進行形なのでわからないですけど、京都、神戸、横浜での思い出は僕の中では大きいです」

 ――30年前と今のJリーグで変わったことは?
 「何が変わったかは、一つや二つではないと思うので全部はなかなか言い切れない。当たり前ですけど、J1からJ3までのチームの数が圧倒的に違うし、それに関わっている人数、選手の数も何もかもが違う。昨日もJリーグを代表して浦和レッズがACLで優勝して、その中で素晴らしいサポーターを確立して存在している。Jリーグの30年の進化、進歩が昨日のACLに表れている。30年前はああいう雰囲気はまだまだなかった。昨日のスタジアムの雰囲気は、僕が所属しているチームの皆も見ているけど、ヨーロッパに負けないああいう雰囲気をつくっているのはびっくりしているし、素晴らしいと言ってくれている。Jリーグも世界に誇れる雰囲気を持ったリーグに成長した。サッカーが文化として根付いているポルトガルの人たちがそう言ってくれるのは僕自身もうれしく思います」

 ――開幕戦のピッチに立っていての気持ちやスタジアムの空気はどうだったか?
 「正直言って、開幕戦は特別な思いを持って立った記憶がない。日本代表の試合も含めたJリーグの1つの試合としか印象に残っていない。そこまで5月15日の1試合が特別ではない。流れの中で迎えた5月15日。それがJリーグの開幕だった。それほど特別なものは僕自身はなかった。雰囲気は良かったですし、当然お客さんも満員でした。これから開幕ということがあったんでしょうけど、日本代表の試合でもカップ戦でもグラウンドの雰囲気は最高にいい状態になっていた。開幕ということで演出はありましたけど、演出よりも試合に向けての調整をしっかりしていたので、特別な思いは特になかった。いつもやっているルーティンをやって迎えた1試合だったなと今でも感じている。サッカーを初めて見た方も多かったと思うけど、そういう人たちとの感情とはまた違いますし、もっと前から日本リーグを経験していた選手の方々とも違った。それは人それぞれだと思うけど、僕はそんな感じで迎えた1試合だったと思います」

 ――30年で全国各地の小さな街にもクラブができた。サッカーの広がりについてどう考えているか?
 「プロサッカーチームですから、そういう意味でプロとして利益を上げていかなきゃならないので、小さな都市にあるクラブは経営が大変。世界的に見たらいろんな地域にサッカークラブが存在しているということは、その街のシンボルや誇りになっている。ここ(オリベイレンセ)の街も小さな街だけど、今年100周年を迎えて皆がこのクラブの歴史を知っているし、皆が応援している。地域の人に支えられて成り立っていると本当に感じる。日本でまだまだサッカー文化が根付いていると言えるか。やはりヨーロッパや南米と少し違いますけど、その街になくてはならない存在になっていくことが大事だと思うし、努力していくことがこれから先は大事。これから先、地域にどうやって関わっていくかを考えていかないといけないと思う。本当にクラブは皆の誇りだと思うので。僕のいるポルトガルのチームもそういうクラブとして今までずっと地域に関わっている。日本も必ずそういう文化に近づけると思うので、そういう努力をしていかなければいけないと思います」

 ――この30年で日本の他のスポーツもプロ化の広がりを見せている。日本のスポーツ界の広がりをどう見ているか?
 「日本はどのスポーツにも熱狂する特殊な人種と言われているみたいなんですね。世界から見ると。五輪もそうだし、勝ち抜いていくとその競技に皆が物凄く熱狂するスポーツ文化があると思う。他のスポーツが広がっていくことはいいことだと思う。僕がいる街もプロのバスケットのチームがあって交流している人がたくさんいる。スポーツを通して地域の活性化や子供たちに夢を与えて成長していけることがあると思う。スポーツが盛んになることはいいことだと思う。スポーツを通して地域に貢献していくことは大事だと感じます」

 ――30年前にブラジルのサントスという大きなクラブから来て、Jクラブの環境で驚いたことは?
 「ブラジルにも上から下までいろんなクラブがあって、ちゃんと設備が整っているところもあれば整っていないこともあった。サントスというブラジルのトップのクラブを経験したし、本当にクラブハウスの設備が全く整っていないクラブも経験している。僕は読売クラブに入ったけど、最初に行った頃は日本リーグだったし、Jリーグができた時にクラブハウスの設備も変わったけど、その前は各部門に専門家がいなかった。例えば用具係もいなかったし、ブラジルとはちょっと比較にならなかった。1人の人が3つも4つも仕事を請け負っている状況だった。不足していると感じましたけど、そういうのも理解して帰ってきた。そこはびっくりすることはなかった。読売の環境はどんどん良くなっていった。一番びっくりしたのは日本代表ですね。日本代表の戦うための準備だったり、プロの選手も受け入れていたけど、受け入れ態勢が日本サッカー協会ができていなかったのでそっちにびっくりした。最初合宿に呼ばれた時に渋谷の道玄坂のネオン街みたいなところの旅館に泊まってくれと言われた。そういうところにはびっくりしました。そういうのもちょっと楽しんでいましたけど(笑い)その状況を」

 ――30年前に描いた日本のサッカー界の理想と30年後のサッカー界の現実はどうか?
「30年後なんて想像できなかったですね。10年、20年、30年とどんどん世界に近づいてきているんじゃないかと思います」

 ――今後、日本の強化のためにやっていかないといけないことは?
 「いろんなことがあると思うけど、プロサッカーチームというものがどういうふうに地域と関わっていくか。なくてはならない存在というのも含めて。Jリーグと言えばこのチームと世界の人が言えるようになってほしい。そこに世界の名選手が行きたいと思ってもらえるようなクラブが誕生してほしい。アジアでもそうだと思うけど、日本といえばどこのクラブと言えない人が多いと思う。いろんなところで世界の人が目指してくれるようなクラブが誕生してほしいです」

 ――Jリーグが世界に誇れる点と課題は?
 「運営面は世界で誇れると思う。安全で子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで安心して見られるスタジアムばかりなので、そういう運営の部分は世界に誇れると思います。ロッカールームも物凄くきれいですし、きっちりした日本人の性格がスタジアムに全て表れていると思います。チーム数が増えた中でいろんな形がある中で、10年後、20年後、30年後、50年後、その地域に根付くためにはやはり地域との関わりを大事にしていってもらいたい。こういうところ(ポルトガル)にいると余計感じる。あと、若い人、子供の育成を強化していく。子供たちがサッカーをやって夢を持ってやれる環境を増やしていってほしい。これからJリーグがもっともっと成長していくために子供たちが思い切りサッカーをやれる環境、夢を持ってやれる環境が必要じゃないかと思います」

 ――プロ化が決まってブラジルから帰国したのは大きな決断だったと思うが、当時の心境や経緯は?
 「はっきりと覚えているのは、23歳だったけど、まだブラジルでやりたいという気持ちの方がどちらかといえば強かった。サントスで活躍していたけど、もっと活躍したいという気持ちにいっていた。今56歳まで結局プレーを続けているけど、やれても32、33歳だと思っていた。日本がプロ化になりJリーグとともに日本代表がW杯に出るところまでを考えると、あまり時間がないんじゃないかと正直思っていた。23歳の時ですけど、あまり時間がないと思っていた。一番いい時に、サントスで惜しまれている時がいいんじゃないかなと思いました。日本でJリーグ、プロ化の成功とW杯出場を目標に決断しました」

 ――JリーグからセリエA(ジェノア)に移籍して欧州に移籍する先駆けとなった。現在たくさんの選手が活躍している状況をどう見ている?
 「正直言って時代は変わって動いて、常に進化、進歩している。自然な形だと思う。世界が近くなっている。受け入れる方の考え方も昔とは全然違います。これから先もっとチャンスが広がっていく。日本人が海外に出て、活躍することによって積み重ねてきた30年。もちろんその前に奥寺(康彦)さんが活躍した頃からずっとつながっていて、僕らの時代があり、その後の時代があり、皆で頑張ってきた結果だと思う。これから先、もっともっと活躍する場が増えてくる。それは日本側だけじゃなく受け入れる見方も当時とは違います。国籍はほぼ関係なく、いい選手であればどこにでも行ける時代になっていると思う。これから先、日本人がビッグクラブで活躍できる場が増えてくると思う。今の若い人たちは考えながらプレーしていると思う。目標設定が高いですから、この10年、20年でまた違う時代に入ってくるのではないかなと思います」

 ――まだポルトガルに来たばかりだが、将来Jリーグでプレーする姿は見られるか?またJリーグでプレーしたいか?
 「今はまだ考えることはできませんね。今は毎日、毎日必死にトレーニングをして、試合のメンバーに入るために戦っているので。ポルトガルに来たばかりと言われたが、帰る日も近づいている(笑い)あとシーズン3試合になってしまったので、僕には3試合しかチャンスがない。3試合メンバーに入って1試合1試合とにかく集中して。トレーニングが終わった後は毎日クタクタ。みんなのフィジカルがとにかく強いので、フィジカルについていくのがやっと。終わった後はクタクタになっているけど、そのクタクタも充実感と幸せ感で楽しいです。今はシーズンの残り3試合に集中したい。Jリーグでやるのか、日本でやるのかこの先のことはわからない。でも、サッカーはずっとプレーしていたい。もちろんJリーグの舞台でやりたいっていう気持ちもありますし、ブラジルでまたやってみたい思いもあります。まだまだ本当にいろんなところでやりたいという気持ちだけは常にあります。それはJリーグも選択肢の1つだと思います。でも、自分が試合に出られないと意味がないですから。自分の今のレベルもあるので。とにかく先のことよりもまた来週の試合のメンバーに入れるように今日から頑張りたいと思います」

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