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「爆撃機」G・ミュラー氏死去 75歳 元西ドイツ代表で70年W杯得点王、74年地元で世界一

[ 2021年8月16日 05:30 ]

1970年W杯準々決勝のイングランド戦でゴールを決める西ドイツ代表のゲルト・ミュラー(AP)
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 「爆撃機」の異名を取った伝説のストライカー、元西ドイツ代表FWのゲルト・ミュラー氏が死去したと、15日にバイエルン・ミュンヘンが発表した。75歳だった。15年にアルツハイマー病を患い、闘病を続けていた。昨年危篤状態になり、妻のウスキさんは健康状態について「終わりに向かって眠っている」と話していた。

 1メートル75と小柄ながら抜群の得点感覚とポジショニングでゴールを量産。代表では通算62試合出場68得点と驚異的な決定力を誇り、W杯でもその実力を示した。西ドイツが3位となった1970年メキシコ大会は、10得点で得点王。74年の西ドイツ大会では、ヨハン・クライフを擁するオランダとの決勝戦で決勝ゴールを挙げるなど4得点。「皇帝」と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーとともに、母国を2度目の世界一に導いた。W杯通算14得点は、06年ドイツ大会でロナウド(ブラジル)が更新するまで最多だった。

 ミュラー氏は名門Bミュンヘンでも、公式戦607試合出場で566得点。ドイツ1部リーグでは歴代最多となる365ゴールを挙げている。4度のリーグ制覇や3度の欧州チャンピオンズカップ(現欧州CL)優勝など、数々のタイトル獲得に貢献した。現役引退後は指導者となり、BミュンヘンのBチームなど指導した。

 ◇ゲルト・ミュラー 1945年11月3日生まれ、西ドイツ・ネルトリンゲン出身。63年に地元のネルトリンゲンでプロデビューし、64年からBミュンヘン所属。70年に当時の欧州年間最優秀選手「バロンドール」に西ドイツ選手で初めて選ばれた。79年から2季、米国でプレーし、82年に現役引退。代表デビューは66年10月のトルコ戦。利き足は右。

 ▼Bミュンヘン・オリバー・カーンCEO(元ドイツ代表GK) 彼はBミュンヘンの歴史の中でも最も偉大なレジェンドの一人であり、功績は比類なきものだ。ドイツサッカーの偉大な歴史の一部として、語り継がれるだろう。ゲルトは永遠に心の中にいる。

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