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井出頼もし!!5位入賞も「不満足」

[ 2008年8月19日 06:00 ]

5位でゴールする井出

 【北京五輪 トライアスロン】女子トライアスロンで井出樹里(25=トーシンパートナーズ・チームケンズ)が、2時間0分23秒77で5位入賞を果たした。06年2月に本格的に競技を始めてから、わずか2年半。正式競技となった00年シドニー大会後、男女を通じて初の入賞だった。3大会連続出場の庭田清美(37=アシックス・ザバス)は9位、上田藍(24=シャクリー・グリーンタワー・稲毛インター)は17位だった。

 照りつける日差しの中、サングラスを外して両手を上げてゴールに飛び込んだ。スイム1・5キロ、バイク40キロ、ラン10キロの合計51・5キロ。過酷なレースを2時間23秒77の5位で戦い抜いた。五輪の日本人最高成績を樹立した井出は「風も気温も空気も全部、自分に味方してくれました。ここまで支えてくれたすべての人に感謝したい」と最高の笑顔を見せた。
 スイムで4位の好位置につけると、苦手のバイクでは19人の先頭集団の最後尾で力を蓄えた。得意のランで18位から猛追。1周2・5キロの3周目で3位と14秒差の4位に浮上したが、最後の4周目で力尽きた。「メダルが欲しかった。これが今の実力」と話したが、大健闘のレースだった。
 都松原高時代は競泳の自由形でインターハイに出場。玉川大では陸上部で全日本大学駅伝などを走ったが、ともにトップにはほど遠い成績だった。玉川大の山下監督から「陸上で実業団に入っても五輪は無理」と言われたが、恩師との出会いが人生を変えた。
 05年8月に玉川大陸上部がトライアスロンチームのラン強化を手助けするため、合同合宿を張った。足を故障していた井出は、リハビリを兼ねてスイム練習に参加。そこで、現在の所属チームの飯島健二郎監督に見いだされた。06年2月に本格的に始め、わずか2年半で快挙を成し遂げた。
 試合まで300日を切ってからは、飯島監督に毎日「一番になるまであと○日」のメールを送り続けた。この日朝には「ずっとなりたかった一番に、きょうなる」と送信。それだけに、5位入賞にも「満足はしていない」と言う。「2年でここまでやれた。4年後を見ていてください」。発展途上の井出にとって、北京五輪は12年ロンドン五輪へのサクセスストーリーの序章に過ぎない。
 ▼井出 樹里(いで・じゅり)1983年(昭58)6月9日、東京都出身の25歳。都松原高で水泳部、玉川大では陸上部に所属した。トライアスロンの主な成績は、07年W杯エイラート大会2位、08年アジア選手権広州大会3位、08年世界選手権バンクーバー大会11位など。1メートル58、51キロ。血液型O。

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2008年8月19日のニュース