蛯名師を育てた“うるさいオヤジ”矢野進元調教師

[ 2022年2月18日 05:30 ]

矢野元調教師が蛯名のJRA通算2000勝達成を祝福(2012年1月21日撮影)
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 【競馬人生劇場・平松さとし】11日、矢野進元調教師が亡くなられたという。1985年に天皇賞・秋(G1)などを制したギャロップダイナの他、ダイナアクトレスやステージチャンプなどの個性派も育てた名調教師。3度のがんを克服し、2008年、定年により調教師を引退。84歳だった。

 現役時代に話した際、次のように言った言葉が印象的だった。

 「競馬サークルでメシを食べさせてもらっているのだから、恩返しする意味で馬だけでなくホースマンも育てなければいけません」

 実際、金子光希騎手、水出大介元騎手らを育てたが、何といっても代表格は蛯名正義元騎手現調教師だろう。

 87年、武豊騎手と同期でデビューし、後にエルコンドルパサーなどとのコンビで一流騎手となった蛯名騎手。矢野進元調教師は生前、次のように語っていた。

 「正義には“誰もが納得できる競馬をしなくてはいけない!!”など、ことあるごとに口うるさく説教しました。“うるさいオヤジ”だと感じていたはずです」

 そんな若き日の蛯名騎手に感心させられることが多々あったと続ける。

 「でも正義はただの一度も反抗したりふてくされたりせず、常に“はい”と言って聞いていました」

 こんなこともあったと続けた。

 「落馬や迷った騎乗が続いたことがあったので、強制的に1カ月、競馬に乗せませんでした。普通なら“なぜ?”って思い、厩舎を飛び出てもおかしくないけど、そんな時でも私の指示に従っていました」

 その1カ月間、毎朝の調教にはちゃんと乗り続けたという。

 そんな矢野進元調教師は、最後に笑みを見せて次のように言っていた。

 「私が引退した際、正義夫妻が発起人となって引退記念パーティーを開いてくれました。うれしかったです」

 蛯名騎手が一流になったのは先述の通り。そして調教師試験に合格し、あと10日ほどで念願の開業を迎える。蛯名元騎手が今度は調教師としても一流になる日が来ることを願いたい。空の上の矢野進元調教師もきっと同じ思いだろう。 (フリーライター)

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