柄崎孝師 開業2年で皐月賞V!どの馬にも思い入れ、競馬は「人生」

[ 2022年2月18日 05:30 ]

さらば伯楽

柄崎孝師
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 今週のダイヤモンドSにアドマイヤアルバを出走させる柄崎孝師も、今月いっぱいで定年引退する一人。「この道ひと筋。小さい時からこの世界に入りたかった。本当は騎手になりたかったんだけど、体が大きくなっちゃってね。親父の背中を見て調教師になろうと思った。だから夢はかなったんだ」。父・義信氏がJRAで調教師をしていたこともあり、幼い頃から馬に触れ合って育った。76年に父の厩舎で調教助手になり、86年に調教師免許を取得。87年に開業した。

 翌88年には京成杯3歳S(現京王杯2歳S)をドクタースパートで制し重賞初制覇。さらに翌89年には同馬でG1初Vとなる皐月賞制覇と、順調な船出だった。他にも89年NHK杯トーワトリプル、95年日経賞インターライナーなど重賞10勝を挙げた。思い出の1頭をお願いしたが、絞れないという。「手掛けた馬は全部が思い出。G1馬とか重賞勝ち馬とかではない。骨折してしまったり、殺処分になってしまった馬も思い出です。あの頃は自分で牧場に行って見てきた馬を、オーナーに買ってもらって厩舎に置いてもらう時代。自分がここがいい、と思って買ってもらった馬ばかりだから、どの馬にも思い入れがあります」と語った。

 悔いが残るのは「(騎手だった)せがれ(将寿、10年引退)に重賞タイトルを獲らせてやれなかったこと」という。自厩舎の馬で9回挑戦して、06年テンイムホウの福島牝馬S4着が最高だった。「惜しかった。親父の弟子だった田中剛(95年東京新聞杯ゴールデンアイ)、菊沢隆徳(93年愛知杯ホマレオーカン)には自厩舎の馬で重賞を獲らせてあげられたんで、何とかせがれにもと思ったんだけどね」と懐かしげに振り返った。

 最後に師にとって競馬は?と問うと「人生だね。他の世界はやったことがないし、この世界でしか生きてないから。これからも競馬と関わっていたいという気持ちは強いです。自分が手掛けた馬の子が走ってると応援したくなる。血のつながりというか、それが競馬の良さだから。できれば2人いるせがれのどっちかが、調教師になってくれればいいんだけど。幸せな人生だったですね」と、ほほ笑んだ。

 ◇柄崎 孝(つかざき・たかし)1951年(昭26)11月24日生まれ、千葉県出身の70歳。76年、父である柄崎義信厩舎所属で調教助手に。86年調教師免許取得。87年厩舎開業。88年ドクタースパート(京成杯3歳S)で重賞初勝利。89年同馬でG1初勝利(皐月賞)。JRA通算5763戦277勝(17日現在)。

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2022年2月18日のニュース