21年前にドバイで奮闘した芹沢純一助手 デットーリ激怒も…貴重な経験

[ 2021年4月1日 13:00 ]

芹沢純一助手
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 3月27日のドバイワールドカップデー(メイダン競馬場)は12頭の日本馬が出走した。近年、海外との距離感は縮まったが、その道筋をつくった関係者にスポットを当てたい。2000年ドバイシーマクラシックでゴーイングスズカに騎乗した芹沢純一元騎手(52)に当時を振り返ってもらった。

 2年ぶりの開催となったドバイワールドカップデーは12頭の日本馬が出走。勝ち星こそ挙げられなかったものの馬券が発売された4レースで全て2着に入るなど日の丸を背負っての力走が印象に残った。

 今でこそ、当たり前になった海外遠征だが、ひと昔前は海を渡ること自体が珍しかった。今からさかのぼること21年。当時ジョッキーとして活躍していた芹沢純一助手(現・石橋厩舎)はゴーイングスズカ(牡=橋田、当時7歳)とのコンビで第3回ドバイシーマクラシック(当時G3)に参戦した。

 初めてのドバイは驚きの連続。ちょうど1週間前に現地入りした芹沢さんは日本とはまるで違う街の光景に圧倒された。「これが外国か!夜はどこを見てもキラキラで別世界。あそこまで、お祭りのような雰囲気は人生で味わったことがなかった」と振り返る。

 そして迎えたレース当日、相棒にまたがった瞬間「これはイケるかも」と直感。絶好の仕上がりに希望の光が見えた。あとは自分がリラックスして乗れば大丈夫――。スタート後に2番手へ。道中イメージ通りの立ち回り。ただ、周りは海外のトップジョッキーばかり。「世界最高峰の舞台でファロンやシュタルケと一緒に乗ってるんや…と思ったら緊張で頭が真っ白になってしまった」。雰囲気にのまれ、焦りが生じた。中盤で早くも先頭に立つと後続との差を広げ、レースをかき乱す形に…。あまりにも早すぎる仕掛けに他のジョッキーはビックリ。致命的な判断ミスだった。

 「うわ、やってもうた…となって顔は真っ青。ひと息入れようと思っても時既に遅し。直線入り口で後続がどんどん迫ってきた。冷静に乗れていれば、もっと接戦だったはず」

 直線、必死に抵抗したが5着が精いっぱい。英国馬ファンタスティックライトが3馬身差で快勝した。ゴールを駆け抜けた直後、3着ハイライズに騎乗していたデットーリが芹沢さんの乗り方に対して「F」から始まる放送禁止用語を連発。検量室では「何をしてくれたんだ、ジャパニーズ神風ボーイ!」と声を荒らげた。2人の間にピリピリした空気が漂う。「流れを崩したことに対しての怒り。それだけ手応えがあったんだと思う。最後はいろんな思いを込めて“サンキュー”と返した。デットーリは生涯、俺の顔を忘れないんじゃないか」。今となっては笑って話せるエピソード。苦い思い出は貴重な経験でもある。今ほど海外遠征が盛んではなかった時代に、はるか遠く中東で奮闘した男を覚えておきたい。

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2021年4月1日のニュース