平成の女傑ウォッカに続き…ヒシアマゾン、28歳で死す

[ 2019年4月18日 05:30 ]

94年エリザベス女王杯を制したヒシアマゾン(右)
Photo By スポニチ

 94年エリザベス女王杯などG12勝を挙げたヒシアマゾンが15日夜(日本時間16日)、けい養先の米国ケンタッキー州ポロ・グリーン・ステイブルで老衰のため死んだ。28歳。ジャパンカップ、有馬記念で歴戦の牡馬相手に激闘を繰り広げた平成最初の女傑は96年に現役引退。11年に米国で繁殖生活を終えた後も同地にとどまり、余生を過ごしていた。

 黄昏時(たそがれどき)を迎えた生まれ故郷ケンタッキーの放牧地で、女傑ヒシアマゾンは眠るように静かに息を引き取った。現地から訃報を受けた阿部雅英オーナー(所有した故阿部雅一郎氏の長男)は「最近は食が細くなっていましたが、ゆっくりながらも歩き回っていたそうです。米国まで見に来てくださった方も大勢いたそうで、たくさんのファンに愛された幸せな馬でした」と語った。主戦騎手を務めた中舘師も「いま、調教師をやれるのもあの馬がいたから。感謝しかない」と生涯最良のパートナーの死を悼んだ。

 米国産馬のヒシアマゾンは2歳の93年、美浦・中野隆良厩舎(09年引退解散)からデビュー。阪神3歳牝馬S(現・阪神JF)でG1初制覇を飾った。当時は外国産馬にクラシック出走が認められていなかったため3歳時はクリスタルC(現在廃止)など裏街道を進んだが、6連勝でエリザベス女王杯を優勝。同年有馬記念では同世代の3冠馬ナリタブライアンの2着に追い込んだ。95年にはブリーダーズCを目指して渡米したが、レース直前に脚部不安で帰国。牡馬相手のオールカマー、京都大賞典を連勝するなど女傑ぶりを発揮し、ジャパンCではドイツ馬ランドの2着と奮闘。96年エリザベス女王杯は2位入線も斜行で7着降着など悲喜こもごもの競走生活だった。

 「一番思い出に残るレースはクリスタルC。負けたと思いながら追っていたら差し切ってくれた。あれほどの切れ味を持つ馬はめったにいない。競馬って簡単に勝てる…とさえ思わせてくれた」と中舘師は振り返る。獲得賞金6億9894万8000円は当時の牝馬最高、JRA重賞9勝は当時の牝馬最多。現役引退後は北海道・静内の出羽牧場を経て98年に米国で繁殖入りした。

 産駒の重賞勝ちはなかったが、繁殖牝馬としてヒシアマゾンの娘を所有している阿部雅英オーナーは「彼女の名前を思い出させるような馬をターフで走らせることが使命」と語る。孫にあたる1歳牝馬(父ディープインパクト、母ヒシラストレディ)が来年、中舘厩舎に入厩予定。「血統は絶えることなく残っているし、孫娘をしっかり育てていきたい」と中舘師は騎手時代の恩返しを誓っていた。

 ◆ヒシアマゾン 91年3月26日、米国産 父シアトリカル 母ケイティーズ(母の父ノノアルコ) 現役時代は美浦・中野隆良厩舎所属 馬主・阿部雅一郎氏 戦績20戦10勝(重賞9勝) 総獲得賞金6億9894万8000円。93年最優秀2歳牝馬、94年最優秀3歳牝馬、95年最優秀4歳以上牝馬のJRA賞受賞。繁殖牝馬として10頭の産駒を出した。

続きを表示

この記事のフォト

2019年4月18日のニュース