ついに並んだ!的場 日本記録7151勝「皆さまのおかげ」

[ 2018年8月7日 05:30 ]

<浦和10R>タマモサーティーン(右)が抜け出し1着。鞍上の的場騎手は地方競馬日本タイ記録を達成(撮影・久冨木 修)
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 “アラ還”ジョッキーが新たな金字塔を打ち立てた。的場文男(61=大井)が6日、浦和競馬場で行われた第10Rでタマモサーティーンに騎乗して1着。佐々木竹見元騎手の持つ地方競馬最多通算7151勝(中央、海外の勝利数を除く)の日本記録に並んだ。騎手生活46年目、騎乗4万562回目での快挙。7日も浦和で2鞍に騎乗し、前人未到の新記録に挑む。

 ついに、その時がやって来た。1番人気タマモサーティーンで挑んだ浦和10R。大逃げを打った2番人気馬を4コーナーを回ってすぐに捉えた。的場の真っ赤な勝負服が躍る。森泰斗が迫る。7150勝目から21連敗を喫したレジェンドの前に何度も立ちふさがったのが森だった。気合の的場ダンス。1馬身抑え切った。7151勝目。日本記録に並んだ。

 「喜びを感じています。直線に入ってファンの大きな声援が聞こえた。一生懸命追った。ゴールの瞬間、これで何とかタイ(記録)まで来られたなと思った」

 気温34度の中、気持ちよさそうに汗を拭うと、「ファンや関係者の皆さまのおかげ。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と続けた。

 難産の末の記録達成。相棒は因縁のあの馬だった。「今日は落ちなかったね!」。関係者から冷やかしの声が飛ぶ。そう。タマモサーティーンは7月17日、同じ浦和競馬場でゴール直前に振り落とされながら的場の足の着地がゴール後だったため、落馬寸前で1着と認められた“ミラクルゴール”の馬だった。

 6月15日、川崎競馬で落馬。緊急搬送され、左足を20針縫った。7月9日の戦線復帰まで回復に専念したが、この間、北海道・富良野へ尚子夫人と旅行した。ラベンダー畑や人気テレビドラマ「北の国から」の舞台などを見て回った。愛妻のリクエストに応えてのものだったが、これが効いた。記録に向け、焦りそうになる気持ちが徐々にリセットされていくのを感じた。

 だが、それだけで終わらないのがレジェンドだ。何と、さらに足を延ばして旭岳を登った。標高2291メートル。大雪山連峰に属する北海道の最高峰だ。療養中の61歳が登る山ではない。「だって暇で暇で、することがなくて…」。常識を超えた荒療治で7152勝という名の“未踏の山”に挑む決意を取り戻した。

 ただ、7150勝目の後、全く勝てなくなった。ファンが記録を期待し、どの馬も実力以上に人気になった。周囲も気を使った。だが、的場は的場だった。失意は表に出さず、冗舌に笑い飛ばした。「長引かしちゃってるねー。でも、(馬券の)売り上げは上がっているんじゃないの?」。これこそ的場の人間力。誰もがその人柄に触れると応援したくなる。そんな憎めない性格が馬主、厩舎、調教師らとの信頼を築く上で役立った。高齢になっても騎乗馬の数は減らず、ここ20年近く、年1000回前後の騎乗数を確保してきた。

 さあ、あと1勝で「大井の帝王」から「日本競馬界の帝王」となる。「いつもと同じように一生懸命乗るだけ。あと一つなんで頑張って、大事に乗って早く決めたい」。特徴のある早口のダミ声で、的場が力強く宣言した。

 ◆的場 文男(まとば・ふみお)1956年(昭31)9月7日生まれ、福岡県大川市出身の61歳。東京都騎手会所属。73年10月16日、ホシミヤマで初騎乗5着もいきなり騎乗停止。同年11月6日、同馬で初勝利。77年アラブ王冠賞(ヨシノライデン)で重賞初制覇。02、03年全国勝ち鞍1位。03年はNARグランプリ最優秀騎手賞。JRAでは124戦4勝。海外は3戦1勝(韓国)。思い出の馬はカウンテスアップ。好きな言葉は「努力」「根性」。好きな食べ物はカレーライス。血液型A。

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