的場夫人 脳裏に浮かぶケガとの闘い…それでも「辞める」一度も言わず

[ 2018年8月7日 05:30 ]

的場を長きにわたり支え続けた尚子夫人
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 【的場夫人独占手記】7151勝、本当におめでとう。そして、ありがとう。ここまで的場文男を支えてくださった関係者、ファンの皆さま、心から感謝いたします。

 7151。とてつもない数字だと感じます。喜びも多かったですが、脳裏に浮かぶのはいつも主人がケガで苦しむ姿です。結婚して間もなく左肩を複雑骨折しました。体の中には金属プレートがまだ入ったままです。85年春は肺気胸。「次にまたなったら、命の保証はできない」と医師に言われました。07年には内臓損傷。病院の集中治療室で私はただただ祈るだけでした。手術が成功して「(集中治療室から)早く出してくれえ」と叫んだ時には、“エエッ”と思いましたが(笑い)。心配は尽きませんでしたが、ケガをして「騎手を辞めたい」と言ったことが一度もない。それは凄いと思います。

 帝王とかレジェンドとか、いろいろ呼ばれているようですが、家では普通のお父さんです。家族旅行にも連れて行ってくれる良きパパ。ただ、マイペースですよ。せっかちでジッとしているのが苦手。じっくり観光というのは向きません。家でもそう。昔、「おもちゃの飛行機を作って息子(勝之氏=現TCK厩務員)と遊んであげて」と言っても、うまく作れず、揚げ句に「出来上がっているのを買えばいいじゃないか」。今ではいい思い出です。

 初めて会ったのは20歳すぎ。私は学生。主人の兄の家具店でアルバイトをしたのがきっかけでした。最初から「運命の人かな」と思いました。ギャンブルに関わる職業ということで結婚は周囲に反対されました。東京と九州。全然会わない期間が3年ほどありましたが、私の気持ちは決まっていました。主人が改めて迎えに来てくれて82年5月に結婚しました。「競馬のことは分からなくていい。家のことや育児をしっかり頼む」。その通りにやってきました。職場の話を家でもされたらたまらないでしょうから、それで良かったのだと思います。

 昨年5月に7000勝してから、この1年、主人はがむしゃらに頑張っていました。期待に応えたい思いからです。大井競馬場が作ってくれた勝利数のボード「マトメーター」。勝てなかった日はいつも「マトメーター動かなかったよお〜」と悔しそうでした。でも、やっとここまで来ましたね。これからは少し、ゆっくりと仕事をしてもいいと思いますよ。できるところまで一緒に頑張りましょう。

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2018年8月7日のニュース