【山本譲二 我が道26】夫婦でもう一度もらった命…病気を経験し「大事に生きよう」

[ 2026年4月27日 07:00 ]

19年に大腸がんで入院(本人提供)
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 自分の耳の病気が発覚した翌年の2010年、今度は妻・悦子を病魔が襲いました。

 事務所に新しいスタッフが入り、その社員のハンコを作るため、事務所近くのハンコ専門店に行った時のことです。老夫婦だけで営んでいる店で、以前、会社の実印もそこで作りました。社員を連れて行った悦ちゃんは「奥さんのハンコも見せてください」と言われたので渡すと「奥さん、あなたの右胸にがんがあります。よく調べてください」とハンコを見ながら言われたそうです。店のおばあさんが「すいませんねえ。この人、時々変なことを言い出すので。気にしないでくださいね」とフォローされたそうです。

 しかし、気持ち悪いので病院にすぐ行き、マンモグラフィー検査を受けると、右胸に真珠のように光っているがんが発見されたのです。娘も大きくなっていましたが、病院から歩いて帰る時「お母さん、死んじゃうの?」と泣き出されてつらかったことを思い出します。すぐに乳房を3分の1ぐらい切除する手術を受け、ホルモン治療も受けました。ホルモン治療は骨粗しょう症になりやすく、実際に彼女は骨折も経験しましたが、おかげさまで今は寛解しています。

 そんな姿を見ていたのに、自分は大腸がんを1年かけて成長させるという大失態を犯しました。18年に腹痛に見舞われて病院を予約しました。しかし、翌日になると痛みが治まっていたので、ほったらかし状態でいたのです。しかし、翌19年5月。夜中に猛烈な腹痛が起き、悦ちゃんの運転で病院に連れていってもらいました。検査の結果、医師に「大腸がんです」と宣告されました。しかも、がんは7センチほどの大きさだと説明されました。無駄に検査を先延ばしした結果、がんを大きくしてしまっていたのです。

 親友の吉幾三に相談すると「(がんを)公表するつもりか?」と聞くので「年老いた母親に心配させたくないので、(公表)したくない」と言うと「オレもそう思う」とかん口令を敷き、彼が懇意にしている大学付属病院に極秘で転院する手続きを進めてくれました。全て吉が手配してくれました。

 全身麻酔ですから当然自分では分かりませんが、手術では大腸を20センチぐらい切り、リンパも22カ所ぐらい取ったそうです。数日して点滴が外れ、重湯生活も終わり、普通の食事が出た時は、本当にうれしかったことを覚えています。普通のことがありがたいという気持ちは初めて分かりました。手術からリハビリを経て、1週間後に退院できました。

 悦ちゃんに続いて自分もがんになった時に「オレたち何か悪いことしたか?」という、やるせない気持ちはありました。しかし、医学の進歩のおかげもあって、2人とも命は助かりました。もう一度もらった命なのだから、大事に生きようねと常々2人で話しています。病気を経験して、人として少しは強くなったような気がしています。

 ◇山本 譲二(やまもと・じょうじ)本名同じ。1950年(昭25)2月1日生まれ、山口県下関市出身の76歳。早鞆高3年の67年、夏の甲子園出場。74年に「伊達春樹」として「夜霧のあなた」で歌手デビュー。北島三郎に師事し、78年「山本譲二」として再デビュー。80年発売の「みちのくひとり旅」が81年にかけてロングヒット、ミリオンセラーに。NHK「紅白歌合戦」に計14回出場。

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