【藤あや子 我が道13】「こころ酒」がヒット、病床の父に見せられた紅白晴れ姿

[ 2025年12月13日 07:00 ]

「こころ酒」のジャケット。この曲で紅白初出場
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 3弾目の新曲「こころ酒」はカラオケブーム全盛期の1992年9月1日に発売されました。ミリオンセールスを記録し、間違いなく私の代表曲になりました。

 もともとシングル候補曲でしたが、次作の「むらさき雨情」とともに、前年11月21日に発売された「ヒット全曲集’92」というアルバムに収められた楽曲です。三浦康照さんが作詞、中村典正さんが「山口ひろし」の筆名で作曲した作品で、初めて聴いた瞬間に「売れ筋」だと確信しました。特にサビの「飲みほしましょうか」を繰り返す部分がとてもキャッチーで、新鮮でした。台詞(せりふ)口調で問いかける表現も面白かったし、ノリも良かったので、カラオケファンのツボにはまったのでしょう。

 デビュー以降、地道に全国を回った、徹底したレコード店キャンペーンがボディーブローのように効いたのでしょう。今度は周防郁雄社長の意向で、テレビやラジオの歌番組に出まくりました。あの頃は歌番組の数も多く、毎日、放送局に通っていました。本当に休みなしで働きました。しかし、それが売り上げという結果に直接つながったので、ちっとも苦痛は感じませんでした。まだ若かったこともあったのでしょうが…。

 この作品でNHK「紅白歌合戦」に初出場できました。会場のNHKホールは「歌謡コンサート」など普段の番組でも使っていました。でも「紅白」となると、とても同じ場所と思えないほど雰囲気が一変します。そもそもスタッフの数が全く違います。こんなに人が必要なのかと思うほど、人であふれます。その大勢のスタッフも、実は私たち出演者と同じか、それ以上に緊張しているのが分かりました。最大級の生放送歌番組は秒刻みで進行する恐ろしいものなのです。

 11番目の出番で私が「こころ酒」を歌う前、ステージ上のこたつのセットで司会者と和田アキ子さんの「やっぱり冬はミカンと“こころ酒”だよね」というトークが展開される演出でした。しかし、何かのトラブルで、もうイントロが流れているのに、こたつの搬出に手間取りました。その余波で私に来るはずの合図が出ません。「まずい!歌が始まってしまう」と思い、スタッフの合図を待たずにステージに飛び出しました。

 後からビデオを見ると、私は笑いながら登場していました。初出場なのに、やけに度胸の座った女に見えますが、実は舞い上がっているスタッフの様子がおかしくて、思わず噴き出してしまったのが真相です。スタッフのおかげで緊張せず、助かりました。

 そんな模様を父は入院していた病室の小さなテレビで見てくれました。若い時に結核を患った後遺症と、この年1月に起きた私のトラブルによる心労も重なったのでしょう。「肺梗塞」を起こして、都内の病院に入院し、かなり危険な状態になっていました。ずっと父が願っていた娘の晴れ姿をぎりぎりで見せてあげることができたのは、「こころ酒」がヒットしたおかげでした。

 ◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。

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