アンミカ 人生唯一の“反抗”明かす「反抗期がなかったけど、唯一盾突いたのは…」

[ 2025年10月8日 20:33 ]

アンミカ
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 タレントのアンミカ(53)が、8日放送の日本テレビ系「1周回って知らない話」(後7・00)に出演し、人生でたった一度の反抗について明かした。

 両親と5人きょうだいの7人家族で育ったアンミカ。大阪では知人の家の2階の四畳半で暮らす、極貧生活だったが、母の持ち前の明るさで、笑顔が絶えない家庭だったという。

 ところが、一家は次々と不幸に見舞われた。1年で2度も家が火災に。「小学校から見たら家が燃えてて…」「うわあ…って言ってたら、自分の家で」と振り返った。

 火災は、両親が結婚式出席で不在だった日だという。「両親が唯一持っている宝石と一張羅を着て、結婚式に行っていて、戻ってきたら、紅白まんじゅう持って帰ってきて。みんなで焼け焦げた家を見て泣いて」。家族はその後、親戚を頼って生活。一時的にバラバラになったという。

 貧しさ以上に、心に深く突き刺さったのは、続けざまに起こる不幸な出来事だったという。「ふと思い出したけど、貧しいのはよかったんですけど、不運に耐えられなかった」と、涙をぬぐいながら告白。「子供って、何でこんな大事なものを奪っていくんだろうって(思ってしまう)。教会の神父様に盾突いて。“神様なんかこの世におるわけない”と。“おったら、こんないい人たち、頑張った人に病気とか、火事とか与えるわけがない”と」。思いの丈を神父にぶつけたことを明かし、「反抗期がなかったんですけど、唯一盾突いたのはこの時だけですね」とも振り返った。

 そんなアンミカに対し、神父の教えは深いものだったという。「“起こる出来事を全部、信頼して生きなさい”と。“神様は乗り越えられない人に苦労は与えないし、小さいころの苦労はプレゼントで、あなたが乗り越えた時に、たくさんの人に寄り添える。苦労が優しさや強さになる”と言われて」と明かした。

 その後、一家の精神的支えだった母が、がんで闘病生活に入るショッキングな出来事もあったという。「お母さんも倒れて、その後病気になるんですけど、8歳から20代まで、病院に通うのが普通だった。学校、部活、バイト…朝は新聞配達を7年やって。私も小学校高学年から兄に付いていって、中高は新聞配達ですね、朝は」と告白した。

 朝に同級生と顔を合わせ、恥ずかしいこともあったが、姉を手伝って朝ご飯を作ることで、「私も料理ができるようになったり」とポジティブに解釈。さらに「時間がまだ余るので、陸上部だったので朝走ったら、地区の代表になれたり」「塾に行けないんで、朝勉強して学校に行くと質問ができるんですよ。内申が上がって成績が上がって、塾に行かずに進学校に行けたり」と、発想の転換がさまざまな方向でいい結果を生み出した。

 「受け入れられない人に神様は与えないから、私はそれを受け入れられる人と、神様に認められた人なんだというスイッチが、そこですっと入ったんです。悪態をついた後に」。さらに「不幸だ、不幸だって、被害者意識で騒いでいる時間がもったいない。今できることは?という切り替え、心の立て替え方がうまくなった」と自己分析していた。

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