【売野雅勇 我が道17】105分で書いた「涙のリクエスト」 ヒット曲に欠かせない“確かな核心”あった

[ 2025年8月18日 07:00 ]

チェッカーズと筆者(後列右から2人目)(本人提供)
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 チェッカーズと出会ったのは1983年3月。キャロルやシャネルズに憧れていた彼らは、YMOみたいなファッションで頭はリーゼント。ちょっと不良っぽいキュートな7人組の男の子でした。

 81年のヤマハの音楽コンテスト入賞後、福岡・久留米から上京。目黒にあるヤマハ音楽振興会のスタジオで、芹澤廣明さんからデビューに向けたレッスンを受けていました。

 ボーカルの藤井フミヤくんは出会った時から心をつかむ声をしていました。笑顔がとびきりチャーミングで、人をひきつけるスター性をすでに持っていました。おしゃれな子でファッションブランド「クリームソーダ」の靴を履いていて、それがまた可愛かった。僕が着ていたシャツや当時乗っていたオールド・メルセデスにも興味津々。「カッコいいなぁ!」と目を輝かせていたと思ったら、ある日は「触るだけじゃなくて、磨きたくなりますね!」と言われ、その無邪気さに思わず笑ってしまったほどです。

 AからZまで教えていたのは芹澤さん。前年に中森明菜「少女A」を「売芹コンビ」でヒットさせたラッキーチーム。それで白羽の矢が立ったのです。ヤマハでプロデューサーとして数々のヒットを飛ばしていた萩原暁さんから出されたコンセプトは「1980年代のオールディーズ、サウンドはポリス」。僕の得意分野でした。

 デビューに向け2曲“詞先”で欲しいといわれ、最初に書いたのがニューウエーブっぽいボキャブラリーで書いた「テレヴィジョン・ベイビーズ」。そして次に、彼らの元々のイメージに近い世界を描こうと「涙のリクエスト」を書きました。シャネルズにも重なるお得意の歌詞だったので、1時間45分で完成しました。

 前日に仕上げた稲垣潤一「夏のクラクション」で参照した映画「アメリカン・グラフィティ」の別の箇所をモチーフにしました。

 「夏の…」では主人公の少年が目にした走り去るスポーツカーに、終わりゆく夏と恋を重ねました。「涙の…」では少年が海賊放送のDJ、ウルフマン・ジャックに電話をして車を運転する年上女性に曲を贈るという物語を構築。生まれたのが、♪最後のコインに 祈りをこめて ミッドナイトDJ ダイヤル回す あの娘(こ)につたえて まだ好きだよと――というあの歌い出しでした。この最初の2行がすぐに浮かんだので、主人公の気持ちになりきって一気にゴールまで走り切りました。

 この年の初夏に同曲のほか、「ギザギザハートの子守唄」「哀しくてジェラシー」など6曲分を山梨のスタジオでレコーディングしました。この1週間の合宿で完成した生まれたてほやほやの「涙のリクエスト」を聴いた時、ずっと歌い継がれている曲を耳にしたような不思議な懐かしさを感じました。メロディー、歌詞、そしてフミヤくんの声が共鳴し、聴き手に無意識に訴えかけてくる特別なもの。ヒット曲に欠かせない“確かな核心”があることに気づいた僕は、胸の高鳴りを抑えることができませんでした。

 ◇売野 雅勇(うりの・まさお)1951年(昭26)2月22日生まれ、栃木県足利市出身の74歳。企業のコピーライターなどを経て、81年作詞家に。中森明菜「少女A」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、郷ひろみ「2億4千万の瞳」などのヒット曲を生み出した。これまでに1500曲以上の歌詞を制作。2026年に活動45年の節目を迎える。

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