「ドラクエ」シリーズ作曲、すぎやまこういちさん逝く 90歳、ゲーム音楽先駆者 五輪開会式見届け

[ 2021年10月8日 05:30 ]

すぎやまこういちさん(C)SUGIYAMA KOBO
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 全世界で累計8300万本以上を販売したゲームソフト「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽を30年以上にわたって手掛けた作曲家のすぎやまこういち(本名椙山浩一=すぎやま・こういち)さんが9月30日、敗血症性ショックのため死去した。90歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を行う予定。独学で身につけたクラシックの技法を駆使し「ゲーム・ミュージック」というジャンルを確立させたパイオニアだった。

 「ゲーム・ミュージック」の地位を向上させた大功労者がこの世を去った。スポニチ本紙は5日の時点で「密葬を終えてから公表したいとの意向を遺族が持っている」との情報を関係者から聞き、都内の自宅周辺を取材。7日の昼すぎごろから、葬儀を終えたとみられる喪服姿の関係者の出入りが見られ、訃報が発表された直後の午後3時45分ごろ遺骨が入った箱を胸に抱いた親族とみられる人物が静かに自宅へと入っていった。

 すぎやまさんのドラゴンクエストの楽曲は東京五輪の開会式で使用されたばかりだった。各国の入場行進が始まる際に流された「序曲:ロトのテーマ」。これが世界中の称賛を集めたことは記憶に新しい。

 作曲の原点は音楽に親しんだ幼少期にあった。父親がレコード店に反物を持ち込み物々交換で手に入れたベートーベンの交響曲第6、7番のレコードが才能の基礎を築いた。付属のオーケストラ・スコアを見つつ、すり切れるほど聴いて「耳学問」で音楽理論を身につけた。音楽を学んだ経験はないが、ハ長調とホ長調など違うキーの音を同時に鳴らすことで独特のハーモニーを生む「複調」など、クラシックの高度な技法を独学で習得。天才の名をほしいままにした。

 両親の影響で小さい頃からゲームも大好きだった。1978年発売の「スペースインベーダー」以来、テレビゲームにもハマった。500曲以上を1人で手掛け、ライフワークとなった「ドラクエ」シリーズの音楽に携わったきっかけもゲーム。ゲーム会社「エニックス」(当時)が発売したパソコンゲーム「森田将棋」に夢中になった末、同封のアンケートはがきに「音楽が入っていないので何とかしたら」と書いて送ったところ、協力を求められた。

 ほどなく、86年発売の「ドラクエ」第1作の音楽を手掛けることになり、与えられた猶予は1週間だったが、「序曲:ロトのテーマ」を5分で作曲するなど、全ての音楽を完成させる卓越した手腕を発揮した。

 「ドラクエ」シリーズの人気が社会現象化する中、88年のアルバム「交響組曲『ドラゴンクエスト3』そして伝説へ…」も35万枚を売り上げるヒット。ゲームは、繰り返しプレーするものだけに「何度聴いても飽きない音づくり」を信条とした。いわゆる「聴き減りしない」魅力はクラシックと共通した。

 「天職」と語ったドラクエ音楽が評価され昨年、文化功労者に選出された際には「ゲーム音楽が社会に認められとてもうれしい」と話した。自国開催のスポーツの祭典を自身の曲が彩った夏が過ぎ、天才は静かに旅立った。

 ▽累計8300万本「ドラゴンクエスト」とは 「ドラゴンクエスト」は家庭用ゲーム機初のロールプレーイングゲーム(RPG)として、1986年に第1作が発売された。人気漫画「ドラゴンボール」作者の鳥山明氏(66)がキャラクターデザインを務め、音楽や戦闘シーンも秀逸。RPG人気を根付かせた。88年発売の第3作「ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…」は、ソフトを購入するために発売前日から玩具店に並ぶ“徹夜組”が現れたり、不人気ソフト数本とセットで売られる「抱き合わせ商法」が問題となるなど社会現象を巻き起こした。これまでに全11作が登場。全世界でのシリーズ累計販売・ダウンロード本数は8300万本を超える。18年には日本記念日協会が、第1作発売日の5月27日を「ドラゴンクエストの日」と制定するなど、シリーズ誕生から今年で35周年を迎えた今も愛され続けている。

 ◇すぎやま こういち(本名椙山浩一=すぎやま・こういち)1931年(昭6)4月11日生まれ、東京都出身。大学卒業後、文化放送に入社し、報道部、芸能部を経る。1958年にフジテレビ(翌年開局)に入社し、65年に退社。ゲーム好きで、日本バックギャモン協会名誉会長などを務めていた。16年に「最高齢でゲーム音楽を作曲した作曲家」としてギネス認定。18年に旭日小綬章、20年に文化功労者に選出。

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