人間国宝・坂田藤十郎さん 老衰で死去 88歳「女性より美しい女形」で扇雀ブーム巻き起こす

[ 2020年11月15日 05:30 ]

坂田藤十郎さん(2013年3月撮影)
Photo By スポニチ

 上方歌舞伎の第一人者で人間国宝の坂田藤十郎(さかた・とうじゅうろう、本名林宏太郎=はやし・こうたろう)さんが12日午前10時42分、老衰のため東京都内の病院で死去した。88歳。京都市出身。妻は元女優で参院議長を務めた扇千景さん(87)、妹は女優の中村玉緒(81)。葬儀・告別式は親族で行った。歌舞伎界の大御所でありながら、51歳年下の舞妓(まいこ)との不倫が発覚した際に「一生青春」と笑い飛ばすなど豪快な人物でもあった。

 1953年8月、東京・新橋演舞場で「曽根崎心中」のお初を演じ空前の大ヒットを飛ばした藤十郎さん。「女性より美しい女形」と評され「扇雀ブーム」を巻き起こした。お初は上演1400回を超える当たり役となった。最後の舞台は昨年12月、京都・南座での「祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)」。今年1月には大阪松竹座「寿初春大歌舞伎」に出演予定だったが腰のケガで休演。歌舞伎関係者によると「前年12月に腰を痛め、1月に骨折が判明した」という。

 3月にはパーキンソン病と診断され、7月には肺炎の傾向が出た。「誤嚥(ごえん)性肺炎が怖く、なかなか食事を取れなくなった。それで体力がなくなっていった」という。

 90年11月に三代目中村鴈治郎を襲名し、2005年12月に四代目坂田藤十郎を襲名。231年ぶりに大名跡を復活させた。94年に人間国宝に認定され、09年には文化勲章を受けた。

 名実ともに歌舞伎界のトップとして活躍した藤十郎さんは“豪快な私生活”でも世間の話題をさらった。人間国宝となった後の02年6月、京都の舞妓と“51歳差不倫”を写真誌「フライデー」に報じられた。宿泊先の京都のホテルでしばしば密会。舞妓を見送るために部屋の入り口まで姿を現し、バスローブの前をはだけた“ご開帳”写真まで撮られた。

 当時70歳。公演中だった歌舞伎座で会見した藤十郎さんは「歌舞伎の好きな子でね。部屋では歌舞伎のビデオを一緒に見ていただけ」と不倫関係は否定したものの「一生青春ですから」「世の男性方にも頑張ってほしい」と笑みを浮かべながらガッツポーズまでしてみせた。“ご開帳”に関しては「大げさ。こうやってチラッとやっただけ」と身ぶり手ぶりを交えて説明した。

 一方、当時、国交相だった扇さんは夫の会見の翌日、本紙などの取材に応じ「うちの主人、頑張っているみたいね」などと笑い飛ばし、「(舞妓は)夫婦でひいきにしている子。本当にいい子」と不倫相手を褒めちぎる余裕ぶり。夫婦そろっての“大物ぶり”を見せつけ話題となった。

 2013年4月2日、新装された歌舞伎座のこけら落とし公演初日に幕開きの大役も務めた藤十郎さん。コロナ禍で興行が大きな影響を受ける中、歌舞伎界は大黒柱を失った。

 ◆坂田 藤十郎(さかた・とうじゅうろう)本名林宏太郎(はやし・こうたろう)。1931年(昭6)12月31日生まれ。京都市出身。二代目中村鴈治郎の長男として生まれ、41年に大阪・角座「山姥」の金時で二代目中村扇雀を襲名し初舞台。53年に曽根崎心中の「お初」を初演。90年に紫綬褒章、94年に人間国宝認定。05年に坂田藤十郎を襲名した。09年に文化勲章を受章。屋号は山城屋。

 ▼尾上菊五郎 東の(市川)団十郎に対する西の藤十郎として関西歌舞伎の復興を目指し、上方和事にも力を注がれていた。新型コロナウイルス禍で私は8カ月の休みを取らされたが、舞台というのは不思議な力を与えてくれる場所。兄さんには、もっと舞台に立ってほしかった。米寿を記念する踊りを見させていただき、楽屋で気さくに話していただいたのを覚えている。

続きを表示

この記事のフォト

2020年11月15日のニュース