熱気と狂気併せ持った天才「萩原さん」

[ 2019年3月29日 07:40 ]

萩原健一さん死去

萩原健一さん
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 【悼む】本人を前にショーケンと呼べる関係者はほとんどいなかった。自分もその一人なので、萩原さんと呼ばせていただきます。彼は物凄い寂しがり屋で、喜怒哀楽が激しくそのスイッチがどこについているのか、分かりにくい人だった。怒っているかと思うと、急に笑いだしたり、その逆も多かった。

 1985年公開の映画「瀬降り物語」(東映)の四国ロケのこと。高知県の山中で取材した際、旅館というより古びた民宿に同宿した。「ちょっと飲もうよ」と萩原さんから声が掛かった。主演俳優の申し出に共演の藤田弓子さんを交えて酒は進み、翌朝も夜明けからロケがあるのに午前0時を回っても萩原さんの話は終わらない。当時、俳優として脂が乗っている時期の芸能論、演技論はヒートアップしていくばかり。話そのものは型破りで面白いのだが、いつになっても終わる気配はない。

 同席していた殿山泰司さんが「そろそろ寝ますわ」と席を立ったのが午前1時ごろだった。それまで話す相手に目を合わせなかった萩原さんの表情が急に曇ったかと思うと、それをきっかけに酒のピッチも上がり話し相手の顔をのぞき込むようにして「俺の話って実はみんな聞きたくないんでしょ」と怒気を含んだ言葉の後、ふさぎ込んでしまった。

 気を使った藤田さんが取りなそうとして「私には超能力があるかも」と言って、技を披露してくれもしたがそのまま機嫌が直らなかった。

 こんなエピソードは多くあるが、かつて夫婦だったいしだあゆみさんが「彼は寂しがり屋で私が入浴していると、扉の外に椅子を持ってきてその日の出来事を話し続けるんです」と言っていた。芸能人・萩原さんのイメージからはかけ離れた話だが、実はそんな“夫”だったのだろう。

 騒動も多い人だった。その取材時、萩原さん宅前で後輩を張り込みに連れていった際のこと、後輩が「私は何をすればいいんですか」と真顔で尋ねるので「俺が厳しい質問をするから、殴られると思う。その写真を必ず撮っておけ」と答えた。その後輩はニヤニヤしていたがその後、別件で萩原さんの実像を見ることとなる。

 一定の距離さえ保って付き合えば、熱気と狂気を併せ持った天才だった。(常務取締役、元映画担当 石井真人)

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