風変わりな少年だった歌丸さん 釣り好き 大の甘党で下戸 工場勤務、セールスも経験

[ 2018年7月3日 05:49 ]

桂歌丸さん死去

釣りを楽しむ桂歌丸さん
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 歌丸さんが人生を通して愛したのが釣りだった。釣りを覚えた小学生時代、運河に行っては糸を垂らす毎日。獲物が針にかかるまでの時間は、大好きな落語をブツブツとつぶやく風変わりな少年だった。三遊亭金馬さん、三遊亭円右さんと、落語界の“釣りの三羽ガラス”と呼ばれた。

 専門は渓流釣り。「海の船釣りは船頭次第。川や湖は自分の足でポイントを探せる」という理由だった。だから釣り場探しも楽しみの一つ。「三度の下見と川沿いの農家へ手紙やしらみつぶしに聞き回って確かめる」というこだわりよう。そうして見つけた絶好の場所は誰にも教えない。タナゴ、フナ、ワカサギ、イワナ、ヤマメ…。淡水魚との駆け引きが至福の時だった。06年に腰の手術をしてからは控えていた。

 分かりやすく、頑固な性格。肉はダメだが、魚は好き。大の甘党だが、酒は飲めない。付き合いでグラス八分目ほどのビールを飲んだのが最高記録。この時は直後にダウン。やっとの思いで家に帰ったが、翌日に急性アルコール中毒と診断された。2日後まで「家がグルグル回っていた」という“三日酔い”の逸話が残るほど、酒を受け付けなかった。

 駆け出しの頃、師匠とモメて高座を離れた時期は生活に苦労した。再出発までの間、マッチ箱のラベル貼りやメッキ工場勤め、化粧品のセールスマンなどの仕事をした。この時の食うや食わずの極貧生活の体験から弟子には「お金がたまったらまず米を買いなさい。米があれば食うのには困らない」と教えた。

 遊郭の生まれだが女遊びはほとんどせず、若い頃に海外で羽目を外したぐらい。「恐妻」とネタにしていた冨士子夫人と生涯を共にした。老人ホーム慰問やチャリティー寄席など、テレビに映らないところでも“客”を楽しませ続けた。

 4歳年上の夫人は幼なじみで56年に結婚した。これまで夫人が表立ってメディアに出ることはほとんどなく、「笑点」では09年に歌丸さんが座布団10枚を集めた賞品の「クイーン・エリザベス2のクルージング」で登場。ただ顔は映さず、後ろ姿のみの登場だった。

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