「ミスター政治改革」と民進党の「夜明け」

[ 2017年9月6日 09:30 ]

1993年6月、内閣不信任決議案採決で賛成票を投じる羽田孜氏。後方右は宮沢首相
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 【小池聡の今日も手探り】金権政治が指摘され、国民の不信が頂点に達していた1993年。選挙制度改革など政治改革にまい進していた羽田孜氏は間違いなく政局の中心にいた。

 6月、政治改革関連法案の不成立をめぐり提出された宮沢内閣不信任案は自民党羽田派などの賛成で可決、成立。羽田氏は小沢一郎氏らとともに離党し新生党を結党、党首に就いた。宮沢喜一首相は衆院を解散、天下分け目の総選挙へと突入していった。

 羽田氏の動静は最大の関心事の一つ。胸の内を聞きたい場面は多々あったが、駆け出しの記者には単独で話を聞く機会はなかなか得られない。そこで会合が予定されていた都内のホテルで待ち構え、秘書とSPに話を通した上でトイレで“直撃”。嫌な顔をすることなく気さくに応じてくれたことが思い出される。服装はもちろん、トレードマークである半袖スーツ「省エネルック」だった。

 家族の思いはいかばかりか。綏子(やすこ)夫人の話も忘れられない。長野新幹線(現北陸新幹線)の開業前で、地元である長野・上田から特急「あさま」で上京、上野駅に降り立ったところでうかがった。夫はこの政変劇の主役の1人であり、脅しや嫌がらせを受けていると明かしてくれた。しかし、そう話す表情は一見、穏やか。ひるまずに夫を支える…代議士の妻としての覚悟が感じ取れた。

 7月の総選挙で自民党は過半数割れ。一党支配の「55年体制」を崩壊させた立役者の羽田氏は非自民連立の細川政権で副総理兼外相に就任した。政治改革の「夜明け」を感じさせた一大事件であった。

 羽田氏は細川護煕首相退陣後の94年4月に首相となったが、社会党の連立離脱で少数与党となり、在職64日で総辞職。その後は政権交代可能な二大政党制の一翼を担うべく新進党結成に参画し副党首。離党後は太陽党、民政党それぞれで党首、代表。98年4月結成の旧民主党では幹事長、特別代表、最高顧問を歴任した。2009年総選挙で民主党政権誕生を見届け、12年総選挙に出馬せず引退。先頭に立って改革に身を投じてきた代議士人生だった。

 9月1日の民進党代表選を戦った前原誠司元外相と枝野幸男元官房長官はともに、あの93年総選挙に細川氏が代表を務めていた日本新党から出馬し初当選。いわば「夜明け組」だ。ちなみに、小池百合子東京都知事も参院からくら替えし同党から初当選した同期。

 民主党時代から「お家芸」と揶揄されてきたまとまりのなさ、不協和音。今回の代表選でこれらに終わりを告げるのだろうか。新代表に選出された前原氏は挙党態勢を構築し、離党ドミノにストップをかけられるのだろうか。

 8月28日に飛び込んできた「ミスター政治改革」の訃報。野党幹部からは政権交代可能な二大政党制の実現は「道半ば」との声が相次いだ。果たして、政権批判の受け皿として、民進党は「夜明け」を迎えることができるのだろうか。次のチャンスはもうない。 (編集委員)

 ◆小池 聡(こいけ・さとる)1965年、東京都生まれ。89年、スポニチ入社。文化社会部所属。趣味は釣り。10数年前にデスク業務に就いた際、日帰り釣行が厳しくなった渓流でのフライフィッシングから海のルアー釣りに転向。基本は岸から気ままにターゲットを狙う「陸(おか)っぱり」。

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