野坂昭如さんを悼む 肉体派、武骨派でシャイな文化人

[ 2015年12月11日 11:02 ]

79年、トレードマークのサングラス姿でタバコをくゆらす野坂昭如さん

野坂昭如さん死去

 【悼む】 長い闘病生活だった。献身的な暘子夫人の二人三脚での“作家野坂昭如”活動が始まったのは2003年。倒れたこの日も野坂夫妻のコンサートがあり、本番直前のダウンだった。

 周囲の関係者に事情説明する暘子夫人。それが“野坂番”だったボクの耳にも入った。トップ記事にした。スクープになった。伏せておきたかった夫人と見えない衝突が起こり、ボクは野坂家を出入り禁止になった。各社の野坂番記者らから近況を聞く日々だった。あれから12年、反骨の人、洒脱(しゃだつ)な作家のまま野坂さんは逝った。

 時に肉体派、武骨派を強調するかと思えば栗原小巻さんや吉永小百合さんを熱烈応援するシャイな文化人でもあった。「フレンチ・コネクション八百」(1976年、講談社刊)が上梓(じょうし)される少し前、大手出版社の野坂担当やボクらも含めて男ばかり12人で英仏独延べ1カ月の取材、撮影旅行があった。我らが野坂さんがサンヨーレインコートのモデルになったのだ。

 楽しさと恥の精神、グループ思い、不可思議な美意識と自己顕示欲。野坂さんは実に多彩な人だった。それでいて、当時タカラジェンヌだった2人のお嬢さんの宝塚のマンションを不意に訪ねて差し入れを玄関ドア前に置いてきたりするやさしさも。

 晩年の原稿や写真は暘子夫人の聞き書き、充て撮りだった。見事な夫婦愛というべきだろう。涙がこぼれる。

 戦争に反対し、平和への活動もずっと続けた野坂さん。夜にはラグビーの仲間たちも多数駆けつけて冥福を祈った。いつの間にか85歳にもなっていた野坂さんの長寿を思うと胸が詰まる。合掌。(スポニチOB・花井 伸夫)

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