橘家円蔵さん死去…眼鏡で高座、CMで人気 15年前から心臓に持病

[ 2015年10月17日 05:30 ]

05年、チャリティーディナーショーで落語を披露した橘家円蔵さん

 黒縁眼鏡がトレードマークで、速いテンポでギャグを連発した人気落語家の八代目橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。CMの明るいキャラクターでお茶の間からも愛された。円蔵一門ではしのぶ会を検討している。

 複数の弟子によると、円蔵さんは4月末から東京都江戸川区の自宅を離れ、世田谷区で50代の長女と同居。15年以上前から拡張型心筋症の持病があり、7日午前2時半頃に長女宅で体調が悪化し倒れた。すぐに病院へ運ばれたものの、帰らぬ人に。最期は長女と親族2人がみとった。

 2010年に円蔵さんの妻節子さんが他界してから長女と同居するまで、弟子が日替わりで世話をしていた。橘家竹蔵(67)は半年前に自宅を訪ね「弟子に囲まれ一緒に酒を飲み、すき焼きを食べた。早く寝てくださいと師匠に言ったら“おまえが寝てからだ”と笑っていた」と明かした。橘家半蔵(60)は「娘さんと暮らすことになってみんな安心した」。弟子たちは5月以降、連絡を取っていなかったという。

 円蔵さんは、1952年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。65年に真打ちに昇進、月の家円鏡を襲名した。下町の語り口やナンセンスギャグの連発で人気を呼び、ラジオ、テレビで引っ張りだこに。60年代には、初代林家三平の「よし子さん…」のギャグに対し「うちのセツコが…」や「ヨイショっと」のギャグを生みだして大当たりとなった。当時の落語界では、人物を演じ分けるため眼鏡はご法度とされたが、強度の近視だったことから眼鏡を掛けたまま高座に上がった。

 お茶の間で人気を博したのがCM。「エバラ焼肉のたれ」(エバラ食品)には70年から約15年にわたり出演。黒縁眼鏡のキャラクターが生きた「メガネクリンビュー」(タイホーコーザイ)では「メガネすっきり曇り無し」のフレーズで人気を広げた。

 78年の落語界内紛のときには、師匠の七代目円蔵らと一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。82年に八代目橘家円蔵を襲名後は、一門を背負い落語に専念するためメディア露出を控えるようになった。最後の高座は3年前。噺(はなし)を忘れることが増え、一線から退いた。

 「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は達者。だからアタシは面白い落語家を目指す」が口ぐせで、どこまでも面白さを追求した。志ん朝、春風亭柳朝、三遊亭円楽、談志は落語四天王と称されたが、その後、柳朝を外して、月の家円鏡を四天王と呼ぶのが一般的になった。

 ◆橘家 円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)1934年(昭9)4月3日、東京生まれ。小学校卒業後、家業の紙芝居を手伝い、1952年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。55年、升蔵と改名して二つ目。69~73年に放送されたニッポン放送「談志・円鏡 歌謡合戦」は談志との掛け合いで人気を博した。

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