ジミー・ペイジ 44年ぶり広島訪問、平和への誓い新た

[ 2015年7月31日 05:30 ]

44年ぶりに広島市の平和記念公園を訪れ、慰霊碑を前に花を手向けるジミー・ペイジ

 1980年に解散した英ハードロックバンド「レッド・ツェッペリン」のギタリスト、ジミー・ペイジ(71)が30日午後、被爆70年を迎える広島市を訪れた。71年の広島公演をチャリティーとして行い、被爆者へ700万円を寄付して以来。44年ぶりに平和記念公園や原爆ドームに足を運び、「平和は私たちが守ります」と誓いを新たにした。

 真っ白になった長髪を後ろで束ね、スーツにネクタイと英国紳士風の装い。羽田空港から早朝便で現地入りし、正午すぎに平和記念公園へ。原爆死没者慰霊碑の前で足を止め、花束を手向けた後、ゆっくりと黙とう。地元テレビ局などの撮影取材に応じた際、表情は硬く、サングラス越しの目つきも鋭く険しかった。

 続いて原爆ドームに移動。気温33度の炎天下、スタッフは車を用意したが、「歩こうか」と断った。「前回来た時は東京で買ったムービーカメラを、このあたりで、ずっと回していた。あの時、私たちが撮影した人たちは今も、この中にいるような気がします」と、44年前を振り返った。

 初来日時の71年、東京と大阪で2回ずつに加え、広島県立体育館で「愛と平和 LOVE&PEACE」と題して公演。収益全額を被爆者援護資金として寄付し、広島名誉市民章を受けた経緯がある。「戦争を知らない私たちの心の中にも人類が原爆を落としたことへの恥ずかしさがある」。思いを抱き続け、今回も東京~大阪間の新作プロモーションの日程を調整して、足を延ばした。

 広島市役所では松井一実市長と面会。市長が「ペイジさんは9歳年上ですが、誕生日は私の方が1日前なんですよ」とあいさつすると、「ワォ~!あなたは1月8日生まれ。エルビス・プレスリーと一緒。私よりも大物ですよ!」と笑顔。さらに市長から「慰霊碑に書かれている文を世界中に広めてください」と要請され、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の碑文を聞き返し、「これからは私たちが平和を守ります」と真しに述べた。

 市からはクリスタル製の原爆ドームの置物を贈られた。地元メディアが「広島では写真撮影の時の合図は“チ~ズ”ではなく“お好み焼き”。一緒にお願いします」と頼むと、「O KO NOMI YA KI」と何度も復唱。どこまでも広島に寄り添った。

 ≪ステージ活動再開を示唆≫来日は昨年10月以来。今回は、76年「プレゼンス」、79年「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」、82年「コーダ(最終楽章)」の旧3作が最新リマスタリングシリーズとして31日に同時発売されるため、東阪メディアのインタビューなどに応じている。スポニチ本紙の取材には「ようやくギターを弾ける時間ができる。そろそろギターを弾く準備を始めるかな」と、ステージ活動再開を示唆した。

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