恩師の悲報に涙…水前寺清子「私は一番幸せ者」

[ 2010年11月16日 06:00 ]

涙ながらに会見する水前寺清子

 【星野哲郎さん死去】星野さんに「三百六十五歩のマーチ」「いっぽんどっこの唄」などを作ってもらった水前寺清子。「今の私があるのは先生のおかげ。世に送り出してくれてありがとうございました」と恩師の死を涙ぐみながら悼んだ。自宅で知らせを聞き、都内の所属レコード会社で会見に臨んだ。

 15歳の時、コロムビアのコンクールで星野さんに才能を見いだされ、準優勝ながら特例で同社のレッスンに通うことが許された。星野さんから4年間で11曲もの作品を作ってもらったもののデビューできず、苦しい下積みが続いた。
 19歳で念願のデビューが決まると、星野さんから「いつまでもこの4年間の気持ちを忘れるな。今のまんまでいなさい」と「小さい民子(本名)」から「チータ」の愛称を付けてもらった。
 「1日を一生と思って生きろと、瞬間瞬間を大事に生きないとチャンスを逃してしまうと教えられた。人生のすべてを教えてくれて私は一番幸せ者だと思います」。感極まって言葉に詰まり、鼻をすすりながら振り返った。
 9月下旬ごろ星野さんの自宅に寄って会ったのが最後。ベッドで寝たまま水前寺の顔をじっと見つめると、涙を流したという。「また先生のところに行けば、私を思い出して泣いてくれるんじゃないか…。いなくなったなんて考えられない」と天を仰いだ。

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2010年11月16日のニュース