山城新伍さん死去…昭和のスター、老人ホームで

[ 2009年8月14日 06:00 ]

 「白馬童子」など東映時代劇の二枚目スターとして活躍した後、バラエティー番組の司会などでもおなじみだった俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日、死去した。70歳。京都市出身。糖尿病と闘いながら都内の特別養護老人ホームで静かな生活を送っていた。女優の花園ひろみ(68)と2度、結婚と離婚を繰り返すなど私生活でも話題を呼んだ。

 山城さんは老人ホームでひっそりと死を迎えた。関係者によると、同ホームには昨年6月ごろ入所。05年12月にテレビ番組で告白した糖尿病の悪化で車イスの生活を余儀なくされ、髪は真っ白。やつれ気味で、昨年夏に会った関係者も一見、山城さんとは見分けがつかないほどだったという。静かな生活を送っていたが、週末ごとにホームで行われるパーティーには参加し、楽しんでいたという。
 昨年秋、「週刊文春」(9月4日号)のインタビューに「もう芸能界に戻るつもりはない」「ここが終(つい)のすみかですよ」などと語っていた。
 山城さんは映画全盛の1957年、東映の第4期ニューフェイスに合格。実は松竹にも受かっていたが、東映の方が500円ほど出演料が高かったことから東映入りを決めたというエピソードが残っている。その後、「白馬童子」で一躍人気者となり、時代劇が斜陽になって以降も、コメディーやヤクザ映画などで存在感を見せつけた。
 70年半ばからはテレビのバラエティー番組に進出。テレビ東京で75年に始まった「独占!男の時間」で茶の間人気が再燃。関西弁、歯にきぬ着せぬトークが受けに受け、一時は10数本のレギュラーを抱える売れっ子に。81年にはフジテレビ「アイ・アイゲーム」で司会を務め、放送禁止用語を機転を利かせて「チョメチョメ」と伏せ字で表現し、流行語になった。監督業にも進出して才能を発揮。最後の出演作は昨年公開の映画「暗黒街の帝王 カポネと呼ばれた男」で、ワンシーンだけ車イスで出演した。
 私生活もにぎやかだった。65年、東映で同期だった花園と結婚。プロポーズの際、運転する車を湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま死んでやる」と口説いたのは有名な話。山城さんの浮気などが原因で85年に離婚したが、その後も同居を続けて91年に2度目の結婚。これも長続きせず、95年8月に再び破局した。
 2人の間に生まれた一人娘の南夕花(42)も女優として活動。両親の2度目の離婚の際、「婦人公論」の取材に答えて「(山城さんを)父とは呼びたくない」と決別宣言し、父の戸籍から自らの籍を抜いたことを明かした。微妙な父娘の関係は他人には推し量れないが、ホームの中で、山城さんは「娘に会いたい。娘に会いたい」と繰り返し口にしていたという。
 山城さんの遺体は既に都内で荼毘(だび)に付された。後日、故郷の京都で密葬が営まれる予定だが、親族は身内だけで静かに営みたい意向だという。

 ◆山城 新伍(やましろ・しんご)本名渡辺安治(わたなべ・やすじ)。1938年(昭13)11月10日、京都市出身。京都府立山城高校卒。70年代からは「仁義なき戦い」シリーズなどの任侠映画の一方、テレビで司会を務めマルチに活躍。80年代後半から90年代は、日本テレビ「クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!」の解答者としても人気を集めた。映画を愛し「ミスターどん兵衛」(80年)、「せんせい」(89年)、「本日またまた休診なり」(00年)などを監督。CMも多く、76年から故川谷拓三さんと出演した日清食品のカップめん「どん兵衛」は90年まで続いた。家庭用温浴器「バブルスター」のCMは北大路欣也、松方弘樹、梅宮辰夫、千葉真一との共演、映画級の顔ぶれとなった。

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2009年8月14日のニュース