超ド派手!国立競技場に裕次郎“一夜寺”建立

[ 2009年5月22日 06:00 ]

石原裕次郎さんの二十三回忌法要を発表した(左から)舘ひろし、渡哲也、まき子夫人、神田正輝

 昭和を代表する大スターだった故石原裕次郎さんの二十三回忌法要が7月5日に国立競技場(国立霞ケ丘競技場、東京都新宿区)で営まれる。石原プロモーションが21日、発表した。競技場内には、裕次郎さんが眠る総持寺(横浜市鶴見区)の本殿を“建立”。同寺から本尊を運び込み、一般参列者から献花を受ける。15万人の参列を見込んでおり、過去最大級のセレモニーになりそうだ。

 石原プロらしいド派手な法要だ。国立競技場のトラックの聖火台前部分に、高さ17・13メートル、横約50メートル、床面積約600平方メートルの本殿が1日限りで建つ。使う鉄骨は約200トン。6月末から1週間かけて組み立てる。
 総持寺からは高さ2・8メートルの本尊が運び込まれ、300人のコーラス隊が裕次郎さんのヒット曲を歌い、160人の僧侶が読経。芝生部分を踏まないように本殿に続く太鼓橋建築の計画もある。
 「天国からのラストメッセージ“ありがとう”」と銘打ち、石原プロはファンを招く大きな法要は今回で最後とする方針。主要スタッフが高齢化しているためだ。
 総工費は10数億円とみられるが、法要翌日に即解体作業に入り、“一夜城”ならぬ“一夜寺”というから驚きだ。この日、国立競技場で行われた会見で、石原プロ社長の渡哲也(67)も「私もここでやるのは最初、あり得ないと思いました」とうなずいた。
 99年、総持寺で営まれた十三回忌法要イベントには20万人のファンが殺到。周辺の住宅街まで人であふれるなど混乱した。03年の十七回忌は、ホテルに計3万人を招待し、3日間オールナイトで映画を上映するイベントとなった。
 二十三回忌で「最後」とするだけに総持寺で行う計画もあったが、名物番頭の小林正彦専務(73)は収容力を考え「別の場所を」と3年前から検討。建築面積4万6755平方メートルの東京ドームですら「狭い」と見込み、「(敷地面積7万1943平方メートルで)広くて交通の便もいい」として国立競技場を選択。「多くの人に参列してほしい」と本殿の前に約70メートルの献花台を設置。横に100人、2列で計200人が同時に献花できるようにした。
 想像を超える大イベントに、夫人の石原まき子さん(75)は「裕さんがいくらにぎやかなことが好きとはいえ、最初聞いた時は“おばかな!”と思いました」と苦笑いしながらも「今回はこんな立派な競技場で開催するので感謝しています」と頭を下げた。87年7月17日に肝細胞がんで亡くなった慶応病院が1キロ以内の距離。実は「こちら方面は最近でもなるべく(車で)走りたくない場所」としていた。
 小林専務は「15万人来るかも…」と話しており、青山葬儀所で9日に行われ、葬儀では過去最大級となった忌野清志郎さんの本葬に詰め掛けた約4万2000人の3倍以上を見込んでいる。裕次郎さんの命日は7月17日で、当日も関係者による会が行われる予定だ。

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2009年5月22日のニュース