渡哲也 遠藤実さんに感謝「優しい方でした」

[ 2008年12月8日 06:00 ]

トークショーに出席した(左から)渡哲也、中村獅童、神田正輝

 俳優の渡哲也(66)が7日、自身のヒット曲「くちなしの花」の作曲者で、6日に急性心筋梗塞(こうそく)のために死去した作曲家の遠藤実さん(享年76)に「優しい方でした」と哀悼の意を表した。大阪市北区の梅田芸術劇場で行われた「“黒部の太陽”特別上映会」のトークショー出席前に本紙の取材に応じたもの。「お元気だとばかり…」と話して言葉を詰まらせた。

 「くちなしの花」をリリースしたのは1973年。話を受けた時は戸惑いを感じていた。「もともと歌には興味がなかった。でも、日活に入るとみんな歌わされた」
 なかなか前向きになれなかったが、遠藤さんと出会ってから考えが変わった。「ピアノを弾きながら目に涙を浮かべてるんです。自分の昔を思い出してね」
 遠藤さんは疎開先の新潟で貧しい少年時代を過ごし、上京後は苦労しながら独学で作曲を学んだ。曲にはそのころの思いが詰まっていた。
 ある時「間奏は何のためにあるか、分かるか?」と聞かれた。「詞に書いてある情景を思い浮かべるためだと。歌うのではなく語ればいいんだと言われました」と振り返る。その後「くちなしの花」は150万枚を超える大ヒットとなった。
 1974年にNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演したものの、40度近い高熱が続いて途中降板し、静岡・熱海の病院に入院。その時、遠藤さんが見舞いに訪れ、こう告げた。
 「自分の腕を叩きながら“自分の細胞に勝て”“己に勝て”ってね。歌謡界の大御所が遠路はるばる熱海まで来てくれて驚きました」
 “人情の作曲家”と親しまれ、圧倒的な大衆の支持を得た遠藤さんから2つのことを学んだ。ひとつは「歌は心で歌うこと」。もうひとつは「己に勝つことの大切さ」。約10年前に会ったきり。後日予定されるお別れの会で「ありがとうございました」と礼を言うつもりだ。

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2008年12月8日のニュース