ひっそりと逝った巨星 フランク永井さん

[ 2008年11月3日 06:00 ]

フランク永井さん

 「有楽町で逢いましょう」「君恋し」などのヒット曲で知られ、魅力ある低音で戦後歌謡界をリードした歌手のフランク永井(ふらんく・ながい、本名・永井清人=ながい・きよと)さんが10月27日午後6時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。76歳。宮城県出身。葬儀は1日に都内の斎場で近親者のみで執り行った。85年に自殺を図り一命は取り留めたものの、表舞台に復帰することはなく、2年前から老人ホームに入居していた。

 85年10月21日に目黒区の自宅で首つり自殺を図ってからは、リハビリと療養生活を実姉の美根子さんが支えていた。密葬も美根子さんが喪主を務め、親族やごく親しい音楽関係者ら30人ほどが参列。出棺の際「有楽町で逢いましょう」が流された。「魅惑の低音」とうたわれた歌声が流れ、ひっそりとした音楽葬。「東京ナイトクラブ」「おまえに」などを歌う全盛期の映像も紹介され、壁には名曲の数々のジャケットが飾られていた。棺には今年7月に東京・有楽町マリオン前に建てられた「有楽町で…」の歌碑の写真、美根子さんとの笑顔のツーショット写真が納められた。
 作曲家の吉田正さん(98年に77歳で死去)との出会いでスター歌手になった永井さん。61年に「君恋し」で日本レコード大賞を受賞し、57年から26年連続でNHK紅白歌合戦に出場(当時の最多出場記録)するなど戦後の歌謡界をリードした。
 それが、自殺未遂で一転。愛人から「あなたの子供ができた」と脅された(後に、永井さんの子ではないことが判明)ことが原因とされる。当時の夫人、シズ子さんの発見が早かったことで一命を取り留めたものの、記憶力の障害が残り、リハビリ生活に入った。
 かたことの会話は交わせ、食欲はあっても独力で歩くことができず、車椅子での生活が続いた。そんな中、シズ子さんも91年にガス自殺を図り、一命は取り留めたものの翌年離婚。その後、障害が重くなったことなどから2年ほど前に世田谷区の24時間介護付き有料老人ホームに入居。今年夏、風邪で体調を崩し入院した。
 総ひのき造りで話題になった目黒の豪邸(352平方メートル)は2年ほど前に売却。現在は空き地になっている。自宅にいる頃はベッドで口ずさむこともあったという。「東京ナイトクラブ」をデュエットし「まっつん」と呼び可愛がった故松尾和子さん(92年に57歳で死去)の歌が多かった。ともに吉田さんの門下生。関係者は「天国で仲良く歌っているでしょう」と話した。戒名は「永徳院道鑑慈調清居士」(えいとくいんどうかんじちょうせいこじ)。後日、しのぶ会を開くことも検討されている。

 フランク永井(ながい) 1932年(昭7)3月18日生まれ、宮城県松山町(現大崎市)出身。歌手にあこがれ上京。米軍キャンプでのアルバイト生活を経て米軍のクラブ歌手に。54年、当時の日本ビクターと契約。ジャズ楽曲中心だったが、故吉田正さんと出会い、ムード歌謡に転向。71年、芸術選奨文部大臣賞受賞。

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