【高校野球】神港学園が創部100年祝賀会を開催 北原光広前監督「甲子園が全てではない」

[ 2026年2月22日 08:00 ]

神港学園の「硬式野球部創部100周年祝賀会」であいさつに立った北原光広前監督
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 春夏通算8度の甲子園出場を誇る高校野球の強豪・神港学園(兵庫)の「硬式野球部創部100周年祝賀会」が21日、兵庫県神戸市内のホテルで開催された。1926年創部の同校を県内屈指の強豪まで育て上げた前監督の北原光広氏(72)、息子で現監督の直也氏(46)を始め、OB、同校関係者らが一堂に会し、節目を祝った。

 あいさつに立った北原光広前監督は「100年のうち、私はたった36年しか神港学園の監督をすることができませんでした。弱いチームも、強いチームもありましたが、私は甲子園が全てではないと思っています。人間形成の手段。空気と一緒で、なくてはならない野球。私自身の人生の中で、野球を選んで良かったなと今も思っています」と万感の思いをこめた。野球では無名だった私神港時代の82年から2017年まで36年間にわたって監督を務め、同校8度の甲子園すべてで指揮を執り、「SHINKO」の名を世に知らしめた名将。節目の場で31年前に思いもはせた。

 「忘れられないのは1995年の阪神・淡路大震災」

 95年。1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、神港学園も多くの生徒が被災した。野球どころではない。2月21日に選抜出場決定の報がもたらされるまで、1カ月以上も全体練習ができない状態が続いた。選抜の開催は「無理だ。できない」と思った。その間、部員とともにボランティア活動に努めたが、周囲から「売名行為はやめろ」などと思わぬ誹謗(ひぼう)中傷を浴び、傷つきもした。

 それでも練習再開日の部員の言葉、表情に勇気づけられた。「このチームは3日で仕上がる」と確信できた。被災地からの出場となった報徳学園、育英とともに調整不足のまま大会へ。無形の力が備わったチームは初戦で仙台育英(宮城)を4―3で破ると、続く2回戦でも大府(愛知)を4―3で下した。準々決勝で延長13回の激闘も実らず今治西(愛媛)に4―5で競り負けたものの、被災地を元気づける2勝を挙げることができた。大会前には開催は不可能と思っていたが、終わってみれば「個人的には“やって良かったな”と。意義のある大きな大会だった」と感謝できた。あの1年も経て、神港学園野球部の歴史は100年を通過した。

 以降も県内の強豪の一角を占めるが、10年選抜を最後に、甲子園からは遠ざかる。とはいえ近年も21年春に兵庫大会優勝、25年夏に県大会4強と上位進出を果たしており、聖地まであと一歩の位置にもいる。

 父の後を受け、18年春から指揮を執る北原直也監督は「先輩方に見せていただいた粘り強さ、必死さ、ボールに食らいついていく姿というのは、時代が進んでも絶対に変えてはいけない部分だと思います。100年を迎えた神港学園の良き伝統だと思うので、引き続き生徒たちに伝えていこうと思っています。時代とともに変化していくこと、変えてはいけないこと。そこに信念を持って戦っていきたいと思います」と言葉に力をこめた。その上で「子どもたちと一緒に100年以降、またいい年を迎えていきたい。一日でも早く、OBの皆さまに“おめでとう”と言っていただけるように、一生懸命やっていきます」と新たな歴史を紡ぐべく、前を向いた。

 ▽神港学園 1925年(大14)に私立神港中学として創立。硬式野球部は26年創部。私神港時代の84年春の選抜で甲子園初出場。夏は92年に初出場。最高成績は95年春と06年春の8強。甲子園通算16試合8勝8敗。主な野球部OBに塩谷和彦(元阪神、オリックスなど)、鶴岡一成(元横浜、阪神など)、藤原通(元阪神)らがいる。また、柔道男子66キロ級で東京、パリ大会と五輪2大会連続で金メダルを獲得した阿部一二三も同校OB。

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