【内田雅也の追球】戦後を思う連勝記録

[ 2025年7月12日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神3―6ヤクルト ( 2025年7月11日    甲子園 )

戦後1946年のメンバー。12人がうつっている。後列中央が監督兼任の藤村富美男=阪神球団発行『タイガース30年史』より=

 11連勝を果たした前夜、今後のテーマとして「いかに負けるか」と書いた。「どう勝つか」はすでに阪神の選手たちは身につけている。チームとして気を配るべきは、ダメージを少なくして負けるかだろう。

 その点で言えば、上出来の敗戦だった。先発・村上頌樹が2回表2死無走者から、まさかの大量6失点で降板した。しかし3回以降は門別啓人、木下里都、岩貞祐太と勝ちパターンの救援投手を使わずに追加点を与えなかった。

 打線は6点ビハインドから反発力を示した。守備や走塁でも油断や慢心を思わせるプレーはなかった。最後まで逆転の望みを抱きながら、試合を終えることができた。

 もちろん、挑んだ12連勝を達成できなかったのは残念だ。2リーグ制となってからの球団新記録である。前回達成したのは1リーグ時代の1946(昭和21)年の14連勝(球団記録)だった。

 戦争で中断されていたプロ野球が再開されたシーズンだった。多くの選手が戦死した。復員してきた選手たちが集まり、1月に9人、開幕はわずか12人で迎えていた。

 選手兼任で監督は後に「ミスター・タイガース」と呼ばれる藤村富美男が務めた。藤村は終戦時は故郷の広島・呉にいた。進駐軍の雑役で人間魚雷「回天」の解体をしていた。

 関西に戻り、寄宿したのが西宮・今津(西宮市津門呉羽町)にあった2階建て一軒家。若手選手数人が暮らす合宿所に使っていた。甲子園球場は進駐軍に接収され、この今津が基点となった。近くの空き地や道路でキャッチボールをして過ごした。近くの畑から野菜を拝借したこともあった。

 試合前、前OB会長・川藤幸三に「12連勝を見たい」と伝えた。理由がある。球団創設90周年、そして戦後80年の節目の年である。こうした先人の苦労を思い返すことになる、いい機会だった。

 村上6失点の直後、2回裏が始まる前、雨で50分間の中断があった。場内には柳ジョージ&レイニーウッドの『雨に泣いてる…』が流れていた。

 いや、泣く必要などない。恒例の「ウル虎の夏」でゲストだった山本彩が『365日の紙飛行機』で「時には雨も降って 涙も溢(あふ)れるけど」と歌っている。「思い通りにならない日は 明日頑張ろう」。そう、また新たな明日がやってくる。 =敬称略=
 (編集委員)

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