阪神元監督・矢野氏「100号は通過点。外野と三塁の両方をやっても“変わらないテル”で価値高まる」

[ 2025年6月6日 05:15 ]

交流戦   阪神7―1日本ハム ( 2025年6月5日    エスコンF )

2020年10月、ドラフト指名あいさつを終えてガッツポーズする阪神・矢野監督(右)と佐藤輝
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 佐藤輝の猛虎人生は、矢野燿大元監督(スポニチ本紙評論家)の「右手」から始まった。20年10月26日のドラフト会議で、4球団競合の大砲をクジで引き当て、ガッツポーズ。翌21年から2年間共闘し、背番号8の黎明(れいめい)期を支えた。通算100号のうち44本を見届けた恩師が、メモリアルアーチを称えた。

 「うまくいかないこともいっぱいあったけど、もちろん100号は通過点でしかない。マインド的にも成長しているし、今年はいいホームランも多い」

 衝撃弾の数々は、今も矢野氏の脳裏に焼き付く。1年目の沖縄キャンプ、バックスクリーンを越えたフリー打撃の一発から全ては始まった。2カ月後の横浜スタジアムでは場外弾を放ち、5月28日の西武との交流戦では1試合3発。「こんなに魅力ある選手と野球をやることはあまりなかった」と回想する一方、期待値が高いゆえ、厳しい言葉もあった。

 特に守備だ。当時右翼が主戦だった若虎が緩慢な動きで余計な進塁を許した際に、ためらいなく苦言を呈した。監督を退いて3年目。愛弟子は今季、三塁で開幕し、今は再び右翼に就く。両にらみの苦労は承知の上。矢野氏は、流動起用での好結果こそ価値が上がる、と背中を押した。

 「リズムが変わる難しさもあると思うけど、外野と三塁の両方をやっても“変わらないテル”で成績を残せた方が価値も高まる」

 当時の矢野監督へ、佐藤輝は「三塁をやりたい」と直訴したこともある。ホットコーナーへのこだわりは師も理解しつつ「まだまだ。“オレはサードで勝負するんだ”という時期は、もうちょっと先じゃないかな」と手厳しい。それが愛情の裏返しだと、26歳は知っている。攻守で成長を見せるべく、きょうも置かれた場所で咲く。 (八木 勇磨)

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