日体大・矢沢が打って投げて守って“三刀流”の大暴れ 亡き父との約束果たすため…12球団の前で躍動

[ 2022年8月2日 05:00 ]

プロ・アマ記念試合   大学・社会人選抜6ー8U―23NPB選抜 ( 2022年8月1日    神宮 )

<U―23NPB選抜vs大学・社会人選抜>8回、鈴木(左)から2点適時打を放つ日体大・矢沢(撮影・木村 揚輔)
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 野球が日本に伝わり150年とされる年の記念事業の一環でU―23NPB選抜と大学・社会人選抜によるプロアマ記念試合が1日、神宮球場で行われた。大学・社会人選抜で二刀流で今秋ドラフト1位候補の日体大・矢沢宏太投手(22)はDHを解除して7回に登板して最速151キロをマーク。8回打席では右前2点打を放ち、直後に左翼守備にも就くなど視察した全12球団のスカウトにアピールした。

 野球が日本に伝わって150年。長い歴史でもプロで「二刀流」の看板を背負えるのはエンゼルス・大谷ら選ばれし人間だけだ。プロとアマチュアの選手が同じグラウンドに立った特別な試合。最もファンの注目を集めたのは、その“可能性”を秘める矢沢だった。

 7回からDHを解除して「7番・投手」で登場。プロ注目の左腕は1点を失うも自己最速まで1キロに迫る151キロも投じて2三振を奪った。直後の8回1死二、三塁の打席は1ボール2ストライクから見逃せばボールの低めフォークに反応。最後は右手一本で右前2点打を放ち「食らいつくことができると証明できるよう頑張った」と胸を張った。8回守備は左翼へ。投げて、打って、走って、守る。野球の原点を体現し「楽しく野球ができました」と笑った。

 多くのプロ選手を輩出してきた強豪の日体大で「4番・投手」を担う。甲子園も大学の全国大会も未経験ながら、ドラフト1位候補まで評価を上げ、コロナ禍で中止となった侍ジャパンの3月の台湾戦にはアマチュアから選出される予定だった。この日も1位指名候補に挙げる巨人など全12球団が視察。その実力を十分に発揮した。

 生きていれば62歳だった矢沢の父・明夫さん(享年59)は神宮の空から、そして母・香さん(45)は一塁側の内野席で見守った。矢沢が「ドラフト1位指名の夢」を周囲に公言するようになったきっかけがある。藤嶺藤沢3年時にプロ志望届を提出するも指名漏れ。そのわずか49日後の12月13日夜、明夫さんが自宅のソファの上で意識を失った。心臓発作だった。救急隊員が駆けつけ、すぐに蘇生措置を受けたが、帰らぬ人に。指名漏れの悔しさ、さらに深い悲しみも乗り越え、再び野球に打ち込んだ矢沢は天国の父と約束する。「ドラフト1位でプロに入る」と。

 2日に22歳となる矢沢は「自分がプロになりたいという夢を、両親に支えてもらった」と恩返しの思いを常に抱く。またとない“腕試し”の舞台でアピールした。あれから4年。運命のドラフト会議は10月20日だ。(柳内 遼平)

 ◇矢沢 宏太(やざわ・こうた)2000年(平12)8月2日生まれ、東京都町田市出身の22歳。6歳から「町田リトル」で野球を始め、忠生中では「町田シニア」でプレー。藤嶺藤沢では1年夏からベンチ入りし同秋からエースも甲子園出場なし。高校通算32本塁打。日体大では1年春から野手でリーグ戦に出場し同秋からリーグ戦に登板。2年秋に外野手、3年秋に投手、4年春に指名打者でベストナイン。1メートル73、71キロ。左投げ左打ち。

 ▼中日の米村明アマスカウト・シニアディレクター 投手・矢沢なのか、外野手・矢沢なのか悩みますね…どちらもトップクラスのセンスを備えている。需要と供給の問題で、獲得するポジションは球団次第でしょうね。ウチの場合は左投手が不足しているので、投手の割合が大きいかなと思います。

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