【阪神・中田と一問一答(2)】天国の父を思い涙「ああ、泣かないと思っていたのにな」

[ 2021年9月29日 18:25 ]

<中田賢一引退会見>スアレスから花束を受け取り、笑顔でハグをかわす中田
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 阪神の中田賢一投手(39)が29日、西宮市内のホテルで引退会見を行った。両親、妻、チームメート、恩師…支えてくれた周囲への感謝の言葉ばかりが口をついて出た右腕。

 人柄にじむ会見の模様を一問一答で(※1から続く)。

 【記者による囲み取材】
 ――先ほどシーズン中盤に引退と。真っすぐは戻ってこないとかはあったか。
 「序盤はだいぶ調子良く投げられたんですけど、体の部分で異変が出たことがあって。キャンプ中も左ふくらはぎを肉離れしたことがあって、シーズン中に背中の張りが取れないとか、そこから肩の具合も悪くなって、自分の思うようにいかなかった。そういうところですね」

 ――古い話ですが、暴れ馬と言われた。呼ばれたことは。
 「落合監督に命名して頂いたんですけど、監督自身が打席に立って“ここに来ると思っていたら、強い球でインコースに抜けてきたり、そういうズレるタイプの投手は本当に打ちづらいんだよ”と言って頂いて。スタイルを変えずに強い真っすぐを投げていきなさいと言ってもらって、コントロールが良いにこしたことはなかったんですけど、まずそこの長所を伸ばしていくことがプロで残っていく道かなと思っていた。3冠王を何回も取られた落合監督に言ってもらえたことは、皆さんはあんまりいいイメージでとらえられないと思うんですけど、自分の中では好きな言葉になってます」

 ――落合監督には連絡は。
 「お電話しているんですけど、なかなかな取れないので、また落ち着いた時にゆっくり」

 ――17年間やれた土台は中日時代にできた。
 「本当にまず体自体が小さい頃から強かったので、強く生んで育ててくれた両親に感謝することで、もちろんプロ野球生活で基礎を築いてくれたのはドラゴンズですし。本当にそからソフトバンク、阪神さんと移りましたけど、プロの基礎を作ってくれた球団だと思います」

 ――野球が嫌いになった時は?
 「嫌いになることはなかったですね。単純に練習がしんどいなと思ったことはあったんですけど、根本が根っこがそう思っていたので。自分を成長させるためのメニューだと思ってますね。きれい事じゃなくてそう思ってやっていました」

 ――若手時代に手本とした選手は?
 「本当に最初に入ったドラゴンズですごいピッチャー陣の方がいらっしゃって。山本昌さん含め岩瀬さん、落合英二さん、平井さん、岡本さんというすごいブルペンで見てもなんでミットが動かないんだろうと、なんでこんな強い球を投げられるんだろうという。入って驚がくした部分がありまして、仲良くしてもらっていろいろ教えていただいて、それで本当に自分がレベルアップできたというのはありますし、よく走ったな、よく投げたなという記憶があります」

 ――印象に残っている言葉は。
 「本当に、先ほども言ったように、落合監督の『お前はそのスタイルでいけ』と言われたことは、すごくやっぱり、いまだに残っていますね」

 ――引退試合を辞退した。
 「このあいだ、ファームの優勝決定戦に登板させてもらって、そのゲームが自分の中では最後だと思って、マウンドにあがりましたし、そこで投げきって、気持ちもずいぶん落ち着いたというか、先発ピッチャーとしてイニングは少なかったですけど、最後までやれたなという思いはありましたので、そういうことも含めて辞退させていただきました」

 ――北九州市大からの期待は。
 「大学もそうですけど、八幡高校もすごく熱心にOBの方が応援してくださって、熱を感じながら投げてきました。いろんなところで、いろんな会社でたくさんのOBの方がいらっしゃるので。これから僕自身が就職活動をしなくちゃいけない部分もあるんですけど、いろんな会社にいる方にまたお願いすることもあると思うので、そういう方の応援も力になり、本当に親身になって応援していただいて感謝しております」

 ――率直に中田選手にとって野球はどういう存在。
 「うーん。どうですかね。今までの人生でずっとやってきたことなので。小学校3年生からソフトボールを始めて中学で硬式を始めた。本当にあの習慣というか、ほぼ生活の全てですね」

 ――プロ2年目にお父さんを亡くされた。お母さんに引退の報告は。
 「報告はして本当にお疲れさまと言ってくれて。で、あの墓前にオヤジにも言っておいてというふうに伝えましたね。本当に小学校の時から二人三脚でやってきましたんで。(号泣で空白)。ああ、泣かないと思っていたのにな。本当にですね。天国で喜んで(泣く)くれていると思います。くれているんじゃないかなと思います。はい、すいません。はい」

 (会見終了後)「笑った写真を使って下さい」

 【サプライズで花束贈呈に登場したスアレス】
 「まず本当に感謝しています。中田さんの選手としてだったり、人として、練習の姿を見て私もすごく勉強になりましたし、それが今の私にとって成功に導いてくれた第1の方だったと思っています。いつもグラウンドで優しくしてくれて、いつも笑顔で接してくれたことが、私にとって全てが勉強になりました。私だけじゃなくて、若手の人、中堅の人関係なく、中田さんから、いろんなエネルギーやモチベーション、手本を与えていただいて、私にとって勉強になった。規律だったりとか、そういう部分で私も勉強させていただいたので、これからもそれを自分の糧にしてやっていきたいと思います。本当に引退、お疲れ様でした」

 【中田】
 「本当にスアレスと一緒に野球ができて幸せでした。ソフトバンク時代にずっと思っていたんですけど、国のために投げて肘を壊した。その後もひたむきに励んで、復活して投げ続けたのは本当にすごいと思います。リスペクトしています。チームのセーブを担っていて、お世話になっていて、こういう風に最後に話をもらってうれしく思う。タイガースの優勝、日本一を心から願っているので、スアレスも頑張って」

 (最後に一言)
 「記者の皆さん、先ほども言いましたけど、なかなか書きづらい、つかみづらいピッチャーだったと思う。本当に難しい記事になったと思います。そこも含めていい風に書いていただいて、17年間ありがとうございました。これからも何かしらの形で野球に携わっていきたいと思っておりますので、どちらかでお会いするか分からないですけど、お世話になると思いますので、これからもよろしくお願いします。ありがとうございました」

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