桜美林大5年ぶりV 津野裕幸監督と松江京主将が「最高」にこだわった春

[ 2021年5月30日 13:39 ]

首都大学野球優勝決定戦 桜美林大11―4帝京大 ( 2021年5月30日    サーティーフォー相模原 )

逆転で9季ぶりの首都大学リーグ優勝を飾り、マウンド上で歓喜する桜美林ナイン
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 5月17日、朝。桜美林大の津野裕幸監督は、母校の教育実習に出発する松江京主将(4年・二松学舎大付)にメールを送った。

 「心配しないで、頑張ってこい」

 すると、こんな返信が来た。

 「みんなを信じます。みんなと全国大会に出たいです」

 松江はその前日、5月16日の日体大戦で7回のチャンスに代打で起用され、決勝打を放っていた。津野監督は回想する。「松江はその日、グラウンドを出発する前の練習で、一番最後までバッティングをしていたんです。いいところで使おうと思っていました」。翌日から教育実習のためにチームを離れることが決まっていた主将が、大仕事をしてみせた。

 津野監督は昨年の新チームスタート時、主将候補だった松江を呼んだ。「200人近い部員をまとめることは簡単じゃないぞ」。そこから数日間、練習での姿勢を観察した。チームのことを考え、チームメートを鼓舞する姿を見て、主将に任命した。松江からは「自分の個人成績はどうでもいい。試合に出るとか出ないとかも気にしない。それよりも勝ちたいんです」と強う口調で言われた。チームが変わる可能性を、感じ取れる言葉だった。

 16年秋に佐々木千隼(ロッテ)を擁して初優勝したが、その後は優勝争いにも絡めなかった。「私が選手の力を引き出せなかった。自立させられなかった」と津野監督。松江主将を先頭にスタートを切ったこのチームには、普段の練習から「最高を目指して行こう」と繰り返すようになった。「ワンプレーに対して“最低でもこうしよう”ではなくて“最高のことをしよう”ということ」。今春リーグ戦では接戦の連続で全て3点差以内の決着だった。優勝決定戦で今季初めて2桁得点を挙げ、7点差をつけた。最後は主将不在という状況でも、自立した選手たちが、力を出し切った。最高の結果を、全員でつかんだ。(川島 毅洋)

 ◇津野 裕幸(つの・ひろゆき)1971年(昭46)4月27日生まれ、東京都出身の50歳。桜美林高を経てシダックスでプレーし、都市対抗野球に4度出場。シダックスコーチ、桜美林高コーチ、監督を歴任し13年1月から桜美林大監督。16年秋に首都大学野球リーグで初優勝し、明治神宮大会準優勝。

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