東京ガス・菅野、魂の103球 10年前相馬市で被災、野球を通して「勇気与えられるように」

[ 2021年3月11日 05:30 ]

第75回JABA東京スポニチ大会 予選リーグBブロック   東京ガス1-2三菱自動車倉敷オーシャンズ ( 2021年3月10日    神宮 )

<東京ガス・三菱自動車倉敷オーシャンズ>力投する東京ガス先発の菅野(撮影・河野 光希)
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 10日、予選リーグ8試合が行われた。東京ガスは三菱自動車倉敷オーシャンズに1―2で惜敗も、福島県出身の菅野秀哉投手(24)が、6回2/3を4安打2失点、7奪三振の好投を見せ、復活をアピール。東日本大震災から10年の節目への思いも口にした。予選リーグ最終日の11日も8試合を行い、決勝トーナメント進出チームが出そろう。

 特別な思いを胸に、慣れ親しんだマウンドに上がった。だからこそ、踏ん張りたかった。6回まで無失点の好投を見せていた菅野が、0―0の7回に3安打を浴びて2失点し降板。「先に点をやりたくなかった」と悔やんだ。

 福島県相馬市出身。10年前の震災時は、自宅にいた。「家が崩れるかなと。死ぬんじゃないかと思った。家にはヒビが入ったりしたけど、大丈夫だった」と恐怖の時間を振り返る。

 2年後に進学した小高工は、原発事故の影響で避難指示解除準備区域内だった南相馬市にあった。「3年間、仮設校舎でした」と複雑な思いを抱えたまま、高校生活を終えた。震災から10年。晴れ舞台で白星を目指したが、1点差で敗れ「野球を通して勇気を与えられるように、恩返しができるようにと。勝って地元に良い報告がしたかった」と唇をかんだ。

 入社2年目の昨年は、夏場にフォームを崩し、都市対抗予選ではベンチを外れた。「投げ方が分からなくなった」と苦しい一年を過ごした。昨季大リーグでサイ・ヤング賞を獲得したバウアー(ドジャース)や、ダルビッシュ(パドレス)など、メジャー投手の動画を見て、自身に合うフォームを模索。試行錯誤を重ね、それぞれのいいところを取り入れ「しっくりくるようになった」という右腕。山口太輔監督は「本来の投球を取り戻してくれた」と復調を喜んだ。

 試合には勝てなかった。それでも、法大時代、東京六大学野球リーグ戦で通算18勝を挙げた神宮のマウンドで、自信を取り戻す103球の力投だった。(川島 毅洋)

 ◆菅野 秀哉(かんの・しゅうや)1996年(平8)7月8日生まれ、福島県相馬市出身の24歳。小3から野球を始める。中村一中3年から投手に転向し、東北大会3位。小高工では甲子園出場なし。法大を経て東京ガス入り。1メートル83、85キロ。右投げ右打ち。

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