BC埼玉・由規の使命 故郷・仙台へ新天地から「苦しむ人々をプレーで励ます」

[ 2021年3月11日 05:30 ]

開幕に向け練習する由規(球団提供)
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 東日本大震災から10年の節目に、今年からルートインBCリーグの埼玉に入団した由規投手(31)は本紙のインタビューに応じ、故郷・仙台への思いとNPB復帰への決意を語った。

 ――震災から10年が経過した。

 「10年たったからどう、というわけでもなく、“まだ”でもなく、“もう”10年でもない。まだ苦しんでいる方はいらっしゃるし、じゃあ僕らに何ができると言ったら、なかなか助けることは難しい。少しでも野球を励みにしてくれる人がいるのであれば、僕らはプレーで励ますことしかできない」

 ――当時の心境は。

 「あの当時は21歳。プロ野球の世界にはいるものの、仕事だという感覚でプレーしていたかというと、そうじゃなくて“こういう状況で野球やっていていいのかな”という心境だった。ちょうどオールスターが仙台で開催だったので、そのとき初めて地元に帰った。野球を楽しみにしてくれているファンの人がいるということで、僕自身の存在意義を感じた。(亡くなった1学年上の捕手)斉藤(泉)さんの両親も見に来てくださって。そこで初めて僕らはプレーすることが使命というか若いながらも使命感が生まれた気がします」

 ――その時は左脇腹を痛めて離脱中。

 「ブルペンでも投げられるようになって“いける”という判断で“投げさせてくれ”と言った。ファン投票1位で選んでもらって、まして仙台開催だったので何としてでも、という気持ちだった」

 ――その年に右肩を痛めた。影響は?

 「はっきりそれが原因とは言いきれない。無我夢中でプレーしている。オールスターの後も投げていたし、後悔は全くない」

 ――もし、もう一度オールスター前に戻れても投げるか。

 「そこは迷いなく投げる」

 ――19年に楽天の一員として1軍登板。凄い歓声だった。

 「僕の中では特別な試合。地元の声援、楽天のユニホームを着ての地元での登板は僕の中で意味のあるものだった」

 ――斉藤さんの両親とは今でも連絡を取っているのか。

 「お父さんとは連絡を取っていて、ヤクルト退団、楽天入団、支配下登録、BC入団のときに報告の電話をさせていただいている。今回現役を続けると報告したときは喜んでくださった」

 ――BC埼玉での目標は。

 「先発のポジションを任されているので、1イニングでも長いイニングを投げることが一番。今までの真っすぐで押すという投球はできないわけではないが、同じことをやっていても同じ結果しか生まれない。どこかでスタイルは変えていかないといけない、と思っている」

 ――右肩の状態は。

 「問題なく順調に投げられている。NPB復帰が第一の目標。NPBに復帰した際は、野球全体が盛り上がるような活躍ができるように頑張りたい」

 ――苦しい経験を話すのは使命か。

 「もちろんそうです。仙台出身、宮城出身で野球選手というと、そんなに多くいるわけではない。少なからず発信できるところは発信したいと思いはある。使命感というか、身近で伝えられる僕らじゃないのかなという気持ちはある」

 ▽由規の11年 3月11日、横浜スタジアムで行われたオープン戦の試合中に東日本大震災に被災。4月27日、静岡での巨人戦登板前に斉藤泉さんが亡くなったと知らせを受け、5回1失点で勝利投手に。

 5月までに5勝を挙げ、球宴にファン投票で選出されて仙台での第3戦に先発した。9月3日、巨人戦で7勝目を挙げた後に右肩の違和感を訴え、以降の1軍登板はなかった。

 ◆由規(佐藤由規=さとう・よしのり)1989年(平元)12月5日生まれ、宮城県出身の31歳。仙台育英から07年高校生ドラフト1巡目でヤクルト入団。10年に当時で日本人投手最速の161キロを計測するなど自己最多の12勝。11年9月に右肩痛を発症し、15年11月に育成選手で再契約、16年7月に支配下選手に復帰した。18年オフに戦力外となり、19年から育成契約で楽天入り。同年7月に支配下登録。20年オフに戦力外となり埼玉入りした。1メートル79、80キロ。右投げ左打ち。

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