中日・福留 恩師・星野さん命日に誓う「チームが勝つため、優勝するため力に」

[ 2021年1月5日 05:30 ]

中日入団時、星野監督の前でバットを振る福留
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 14年ぶりに古巣に復帰した中日・福留孝介外野手(43)が、元監督・星野仙一氏の命日である4日、恩師に勝利を誓った。

 「僕がこの世界に入るきっかけをつくってくれて、指名してくれたのは星野さん。その後もずっと我慢して使ってくれてきたから野球を続けることができた。またこうやって野球ができる、やっていられるというのは大きくありますね」

 ドラゴンズブルーで戦うよう導いてくれたのが星野氏だった。95年ドラフトで7球団競合というリスク覚悟で指名してくれた。近鉄入団を拒否し日本生命に進むと、3年後、逆指名で中日に入団し、星野監督のもとでプロ野球人生が始まった。

 新人ながら正遊撃手として出場し、失策を繰り返してもスタメンから外されなかった。勝利への執念も教わった。1年目の99年、当時はリードしている試合の終盤は守備固めとして、久慈(現阪神内野守備走塁コーチ)に代わっていた。二塁打が出ればサイクル安打達成という試合でも星野監督から「これから何度でも、そんなこと(サイクル)やるチャンスはあるんや。チームが勝つ方が大事や」と交代を命じられた。「この野郎、と当時は思ったよね」。悔しさを胸に翌日の試合の第1打席できっちり二塁打を放ち「よっしゃ2日でサイクル達成や」とつぶやくと、指揮官は笑っていたという。「勝つときは勝つ、選手のためを思うときは選手のため、と考えていたのが一番、真っ先に頭に思い浮かぶ」。厳しさと愛情、両方を兼ね備えていた恩師を懐かしんだ。

 星野氏は13年に楽天で悲願の日本一に輝いたが、中日時代はかなわなかった。福留も07年に中日で日本一となったものの、自身は右肘故障により夏場に手術。日本シリーズに出場できなかった。「何のためにこうやってドラゴンズがまた獲ってくれたか考えると、チームが勝つため、優勝するためにという思いがあるはず。自分が力になってチームがそうなればいいのかな」。求められるのは勝利につながる一打。役割は問わずチームのために貢献する覚悟だ。

 恩師の死からこの日でちょうど3年。「中日に入ったときのように、それぐらいの気持ちでめいっぱいやります、頑張りますと報告したいね」。プロ野球人生の原点であるドラゴンズで日本一に輝き、星野氏の墓前に報告する。(徳原 麗奈)

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2021年1月5日のニュース