【阪神新人連載】佐藤輝の高校時代 入部も、飛躍も、きっかけは同級生だった

[ 2020年12月12日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 1位・佐藤輝明内野手(4)

成人式での佐藤輝明(左)と高取真祥さん。(高取君己さん提供)
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 高校では野球ではなく、サッカーを選んでいた可能性があった。小学6年の秋ごろに右肘を痛め、完治まで丸1年もの時間を要した。軟式野球部に所属した甲陵中では肘を使えない間、サッカー部に交じって休み時間を過ごしたことがあった。

 「点を取るのが好きでした。長友選手がインテル(・ミラノ、イタリア1部・セリエA)に移籍した時で。海外サッカーをよく見ていましたし、今でも見るのは好きです」

 野球部か、サッカー部か。仁川学院の入学式の日、朝礼後に声をかけられた。「一緒に野球部に入ろうや」。同じ新入生、高取真祥(まさき)さんからの誘いだった。初対面…ではなかった。小学時代に対戦し、真祥さんの方は鮮明に覚えていた。偶然にも入試の際は席が前後だったという。「迷っているときに声かけてくれたんで、じゃあ、ちょっとやろうかなってなりました」。野球部の練習場に現れたのは、仮入部の締め切り期限寸前だった。

 真祥さんの父・君己(なおき)さん(49)は息子以上にチームメートになれたことを喜んだ。「初めて見たのは小学4年の時でした。捕手として肩もすごいし、バッティングもセンスの塊。こういう選手がプロに行くんだと」。輝明が小学生時代に所属した甲東ブルーサンダースの公式サイトで試合日程を探して観戦に出向いたほどだ。

 飛躍のきっかけも高取親子だった。プロを目指そうと決心した2年秋、日頃からジムに通っていた2人から誘われた。それまでは自室の勉強机を撤去してトレーニング器具を使っていた程度。練習後に週3日、3人でジム通いが日課になり、真祥さんが試験期間で不在の時も君己さんと2人で汗を流し続けた。

 「めっちゃガリガリやった」という体はみるみる大きくなり、卒業までの3年間で身長は10センチ伸び、体重は30キロ弱も増加。高校通算20本塁打のうち17発を2年秋以降に放ち、近大の田中秀昌監督の目に留まった。

 近大3年時には安眠促進のためマットレス店を紹介されるなど、進学先が違っても高取家との交流は続き、君己さんが西宮市内で営むうどん店「はづき」には愛用バットや関西学生リーグ記録に並んだ13号本塁打の記念球が飾られている。「いつかここが佐藤輝明記念館になれば…」。プロの門出に願いを込めた。(阪井 日向)

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