楽天・早川「びっくり」 岩隈背番「21」 「偉大な番号で不安」もエースの系譜受け継ぐ

[ 2020年12月6日 05:30 ]

背番号「21」のユニホーム姿を披露する早川 (撮影・白鳥 佳樹)
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 楽天の新入団発表が5日、本拠の楽天生命パークで行われ、ドラフト1位で指名された早川隆久投手(22=早大)の背番号が「21」に決定した。球団創設期をエースとして支え、今季限りで現役を引退した日米通算170勝を誇る岩隈久志(39=前巨人)が背負ったレジェンド背番。早川はクリムゾンレッドのユニホームに初めて袖を通し、エースの系譜を継ぐ決意を新たにした。

うれしさと驚きで胸がいっぱいだった。プロで背負うことになった「21」は楽天にとって特別な番号。それは早川も分かっている。

 「球団創設時に岩隈さんがつけていた。このような良い番号をもらえると思っていなかったので、びっくりしました」。球団から提示された時は、思わず背筋が伸びた。

 新規参入球団として楽天が産声を上げたのは、早川は小学1年生だった05年だ。決して恵まれた戦力とは言えない中で、岩隈は大黒柱としてチームを支えた。早川が「楽天といえば岩隈投手という印象が強かった」と話すように、まさに球団の顔だった。テレビ画面越しに見た投球は今でも記憶に残っている。

 「コントロールが良くて、フォークやスライダーなどを自在に操りながら勝ち星を増やしていった投手。(自分と)真っすぐの質が似ているのかなと思っている」

 他球団に目を向けても背番号21の左の好投手は多い。「大学の先輩のソフトバンク・和田さんやDeNAの今永さんもつけている。日本球界では左投手のエース番号になりつつあると思う」。同じ左腕でGMを兼務する石井監督は「空いている番号の中からパッと頭に浮かんだ。似合いそうだったから」と説明。会見で実際にユニホーム姿を目にして「数字の“力”と早川選手の顔がマッチして、改めて良かったなと思った」とうなずいた。

 新入団発表の前に行われたファン感謝祭では同期とともにファンにお披露目された。学生服姿でマウンドとホームベースの間に立ち「フォア・ザ・チームの精神を持って、優勝に貢献できるように頑張りたい」とあいさつ。ファンの拍手に包まれながら、プロでの本拠地で腕を振る自らの姿をイメージした。

 「ここで投げるんだなと。バックネットに向かって立つ機会もあったので、投げるイメージが少しできた」

 最後は巨人で引退した岩隈と入れ替わる形でのプロ入り。155キロ左腕は数奇な運命を感じながら「偉大な背番号に不安はある。経験を積んで、最終的にエースという立場でローテーションを守れる投手になりたい」と誓った。杜の都で新たな「21番伝説」が幕を開ける。(重光 晋太郎)

 ▼岩隈久志氏 自分にとっても愛着のある番号。早川君が背負って活躍して、価値のある番号にしてもらえたらうれしいです。

 ◆早川 隆久(はやかわ・たかひさ)1998年(平10)7月6日生まれ、千葉県出身の22歳。上堺小1年からソフトボールを始め、横芝中では軟式野球部。木更津総合のエースとして3年春夏の甲子園はともにベスト8。早大でリーグ通算14勝12敗、防御率2・51。1メートル79、77キロ。左投げ左打ち。

 【背番号「21」の左腕エース】☆ハマの左腕エース PL学園から87年ドラフト3位で大洋に入団した野村弘樹は、横浜となった02年まで生涯背番号21で活躍。通算301試合で101勝を挙げ98年には日本一に貢献した。球団名がDeNAに変わった現在もエースの左腕・今永が受け継いでいる。

 ☆V9の左腕エース 巨人では高橋一三が67年から75年まで21番で活躍。巨人在籍時に110勝し、69~72年には日本一決定試合で4年連続勝利投手とV9に貢献。また、通算66勝を挙げ、現在コーチの宮本和知も91~97年に背負った。

 ☆鷹のベテラン左腕 和田毅はダイエー入団1年目の03年からソフトバンクとなった今季まで21で活躍(12~15年は米移籍)。最多勝に2度輝くなど通算138勝を挙げている。

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