森繁和氏 3度目挑戦で…球界の大エース“サブマリン”を沈めた81年4月18日の完封勝利

[ 2020年5月2日 05:50 ]

我が野球人生のクライマックス

81年、自己最多の14勝を挙げた西武・森繁和
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 他球団のエースを相手に闘志を燃やした日々――。スポニチの野球評論家陣が、自身の忘れ得ぬ試合やシーンを振り返る「我が野球人生のクライマックス」。前中日監督の森繁和氏(65)は、西武入団3年目の81年4月18日、阪急のエース・山田久志を相手に完封勝利を挙げた。自ら節目と位置づけたシーズン。この試合で勢いに乗り、自己最多の14勝を挙げた。(構成・鈴木 勝巳)

 数多い勝利の中でも、格別の味は今でも忘れない。当時、森は26歳。入団3年目で、投手として脂が乗っていた時期だ。かたや山田は70年から17年連続2桁勝利。阪急はもちろん、球界の大エースたる存在だった。「その山田さんに勝った。当時の阪急は強かったし、打線も凄かった。勝ったことは自信になったね」。4月。西武球場に差し込む陽光は暖かかった。

 81年4月18日。前年まで2度、山田と先発で投げ合って2敗を喫していた。三度目の正直。森は面白いようにスコアボードに「0」を並べた。直球に加え、右打者の懐を大胆に突くシュートでファウルを打たせてカウントを稼いだ。さらに「昔でいう、縦に大きく曲がるドロップ」というカーブは球速80キロ台。打者の目線を大きく狂わせ、パームボールも織り交ぜて阪急の強力打線を牛耳った。

 148球。4回に女房役の大石友好の3ランで先制点をもらうと、その4回以降は無安打に抑えた。散発3安打で三塁も踏ませず、プロ2度目の完封勝利だった。「山田さんは絶対的なエース。いつもそうだけど、“先に点はやらない”と自分に言い聞かせていた。あの試合はポンポンといっちゃったね」。森はそう振り返る。

 当時は予告先発がなく、試合当日まで相手は誰が先発するか分からない。「でも、(ローテーションの中心で回る)エース級の人はだいたい分かる。この試合は山田さんだな、となれば“よっしゃ!”と思った。楽しみな部分があった」。山田だけでなく「草魂」近鉄・鈴木啓示に「マサカリ投法」のロッテ・村田兆治…。パ・リーグには球史に名を残すような大エースが顔をそろえていた。3度目の対戦で山田を相手に初勝利。以降、森は山田との投げ合いで一度も負けなかった。一方の山田は4連敗。通算284勝のサブマリンを海面に浮上させることなく、森の熱き闘志が上回った。

 81年は、人生における大きな節目でもあった。森が入団した時からの指揮官で、「球界のオヤジ」と深く慕った根本陸夫監督はクラウン時代から数え就任4年目。この年限りで退任し、管理部長に専念するという話が伝わってきた。「何とか根本さんに優勝を、と思っていた」。また、森自身は前年の11月に靖子夫人と結婚したばかり。「結婚して駄目になったら、嫁さんが悪く言われる」との思いをボールに込め、懸命に腕を振り続けた。

 現役生活を通じて先発、リリーフの仕事場を行き来した森だが、この年は先発30試合に対してリリーフは1試合のみ。根本監督に「完投するから先発をやらせてほしい。早い回でKOされたら、中2日でも3日でも投げます」と直訴したのだという。そして自己最多の14勝。念願のオールスター初出場も果たす飛躍のシーズンとなった。

 かつては「人気のセ、実力のパ」と称された。「あの頃のパ・リーグは本当にいい投手がいっぱいいた。阪急、近鉄も強かった。でも西武も(戦力が整って)だいぶチームが落ち着いてきた感じだった」。翌82年、西武は所沢移転4年目にして初のリーグ優勝。黄金時代が幕を開ける。(敬称略)

 ≪大石氏 一発放ち「強気リードできた」≫森とバッテリーを組んだ大石友好氏(66=元楽天2軍ヘッドコーチ)は「自分もシゲも一番、脂が乗っていた時期だと思う。阪急打線は右打者が多かった。シュートの切れが良かった」。入団1年目の80年はノーアーチ。4回に山田から放った一発がプロ2号だった。「スライダー。たまたまバットを振ったところにボールが来た。自分の一発で強気にリードできてシゲの良さを引き出せたと思う」。ちなみにプロ1号は同年4月4日の開幕戦。ロッテ・村田から打ったものだった。

 ≪鈴木啓示、村田兆治にも勝利≫森が山田と先発で投げ合ったのは通算6試合で2勝2敗。他球団のエースでは、ロッテ・村田とは6試合で1勝5敗だった。唯一の白星はVS山田の初勝利と同じ81年。6月16日の対戦で8回1/3を7安打3失点に抑えた。近鉄・鈴木とは2試合で1勝1敗。こちらの白星も81年で、8月15日に3安打1失点で完投勝利を収めた。3投手の白星の合計は816勝。森は同じ年に3人から白星を挙げた。

 ◆森 繁和(もり・しげかず)1954年(昭29)11月18日生まれ、千葉県出身の65歳。駒大では4年春に最高殊勲選手に輝くなどリーグ通算18勝。76年ドラフトはロッテの1位指名を拒否し、住友金属を経て78年ドラフト1位で西武に入団。83年に最優秀救援投手賞。通算成績は344試合で57勝62敗82セーブ、防御率3・73。引退後は西武、日本ハム、横浜、中日のコーチを歴任し、17、18年に中日監督。右投げ右打ち。

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