プロ野球史上最も早い開幕戦――2リーグ分立で対抗意識、雪の下関から始まった

[ 2020年4月9日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

藤村富美男(左)とともにタイガース創設時からチームを支えた若林忠志ら主力が毎日に引き抜かれた
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 【1950年3月10日 下関 阪神0-5中日】プロ野球史上最も早い3月10日開幕の背景について「阪神タイガース昭和のあゆみ」(阪神タイガース発行)は「両リーグの対抗意識」と記述している。

 前年の49年11月に新球団加盟の是非をめぐって日本野球連盟が分裂。賛成派だった阪急、南海、東急、大映に新球団の毎日、西鉄、近鉄を加えた計7球団で太平洋野球連盟(パ・リーグ)が発足した。対して同12月に阪神、巨人、中日、松竹の既存4球団に大洋、西日本、広島の3球団が加わり、セントラル野球連盟(セ・リーグ)を結成を決めた(年明け1月に国鉄も編成されて8球団)。

 パが先に「3月11日」に東京、大阪、福岡の3都市での一斉開幕を発表。リーグ結成で後れを取っていたセは「その前日を開幕日と決めて対抗した」とある。「気候的にみて必ずしも適当でないことを承知しながら」の開幕だった。

 2リーグ分立によって選手の引き抜き合戦も激化し、特に“被害”の大きかったのが阪神だった。監督兼任だった若林忠志、別当薫、呉昌征、土井垣武ら主力選手が毎日へ引き抜かれた。切羽詰まり、タイガースの初代主将で現役最後の2年間(40~41年)に監督も兼任した松木謙治郎を再び監督として招いた。沖縄戦線から復員後、自前で町工場を興していた。古巣の窮状に奮い立ち、以前と同じ背番号9を付け、選手としても復帰した。1月で41歳だった。

 開幕を控えた2月18日付の本紙は「二貫やせた監督」の見出しとともに松木がマメだらけになった右手に包帯を巻いてノックに努める様子を報じている。引き抜き問題について「選手ばかり責めるのは当たらない」と言い、「何時までも三十五や四十の選手が巾(はば)をきかせているのでは日本のプロも知れている。早く二十五から三十位迄の選手が第一線で働かねばうそだ」と猛虎再建への強い決意を言葉にしていた。

 3月10日、セ・リーグは平和台と下関の2球場で結成1年目の開幕を迎え、阪神は下関の第2試合に登場。下関は海からの寒風が吹雪になって吹きつけていた。主砲の藤村富美男が無安打に終わるなど左腕の清水秀雄に4安打に抑えられて中日に零敗。逆境からのスタートだった。=敬称略=

 ▽1950年の世相 第1回さっぽろ雪まつり開会(2月)、朝鮮戦争勃発(6月)、巨人・藤本英雄がプロ野球初の完全試合達成(6月)、京都・金閣寺が放火により全焼(7月)、初の日本シリーズでパ覇者の毎日がセ覇者の松竹を下す(11月) 【流行語】「アルサロ」「つまみ食い」

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