福島・磐城「3・11」無情の知らせ 新型コロナに奪われた46年ぶり“春”…木村監督「またこの日か」

[ 2020年3月12日 05:30 ]

選抜高校野球大会 史上初の中止

磐城高一塁ベンチに置かれたホワイトボードは3月1日に書き込まれたのを最後にカウントダウンが止まっていた(撮影・近藤 大暉)
Photo By スポニチ

 無観客開催での出場に向けて練習、準備を進めていたセンバツの代表32校にとっては、無念の開催中止となった。21世紀枠で46年ぶり3度目の出場を果たす予定だった磐城(福島)は、部活動の自粛要請が続く中、東日本大震災から9年の「3・11」に届いた知らせ。それでも懸命に現状を受け止め、夏の大会での出場へ前を向いた。

 46年ぶりの“春”が消えた。無情の中止決定。磐城・木村保監督は肩を落として静かに話した。

 「残念というのが一番だが、この情勢では仕方がない。開催を信じていたが、受け止めるしかない」。その静かな口調に無念さがにじみ出ていた。

 4日からの休校に伴って部活動も自粛。福島県教育委員会に要請した特例措置による練習再開も受け入れられず、それでも大会開催を信じ、部員は自主練習していた。その自主練習中。木村監督が岩間涼星主将に電話で「おまえたちが21世紀枠で選ばれたことは間違いない。自信にして胸を張って突き進もう」と伝え、岩間主将は「はい、分かりました」と答えたという。

 東日本大震災から9度目の3月11日。選手は小学1、2年時に震災を経験した。原発事故の影響で県外に避難しながら、甲子園の夢を追うために磐城に進んだ選手も多い。「正直、またこの日かと思ったが、特別にこの日を選んだわけではないし、生きる上で力に変えていかなければいけない」。木村監督はかみしめるようにそう言った。昨年10月には、台風19号で大きな被害を受けたいわき市。岩間主将は「震災だけでなく、台風19号の時にもたくさんの方に支えてもらった。甲子園で恩返しがしたい」と話していたが、恩返しの春はなくなった。

 それでも、磐城には不屈の歴史がある。71年の夏、常磐炭鉱の閉山に沈む地元に甲子園準優勝という明るいニュースを届けた。あの夏のように、苦境をはねのけるべく、木村監督は言った。「チャンスはまだある。いつも通り、勉強に野球に真剣に打ち込んでコバルトブルーのユニホームが聖地で躍動する姿を今度こそ届けたい」。磐城には、まだ熱い夏が待っている。(秋元 萌佳)

続きを表示

この記事のフォト

2020年3月12日のニュース