オープン戦初打席で始まった金本知憲殿堂入りへの道

[ 2018年1月21日 09:00 ]

山本浩二氏(右)とガッチリ握手するプレーヤー表彰のプロ野球阪神の金本知憲監督
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 【永瀬郷太郎のGOOD LUCK!】1492試合連続フルイニング出場のプロ野球記録を誇る鉄人、現阪神監督の金本知憲さんが日米通算507本塁打を放った松井秀喜さんとともに野球殿堂競技者表彰プレーヤー部門の候補1年目で一発当選を果たした。

 1月15日、東京ドーム内にある野球殿堂博物館殿堂ホールで行われた殿堂入り通知式。ゲストスピーカーとして登壇した広島入団時の監督、山本浩二さんは当時をこう振り返った。

 「カネがカープに入ってきたときはバッティングも守備もまだまだ。相当時間がかかると思いました」

 金本さんは東北福祉大から1991年ドラフト4位で広島入団。技術的に未熟で体も細い。前田智徳、西田真二、緒方孝市(現広島監督)、山崎隆造、音重鎮らがひしめく外野陣に食い込むにはあまりにも非力だった。

 しかし、宮崎・日南キャンプ終盤、2月23日に都城で行われた近鉄とのオープン戦で山本監督の金本評は一変する。8回、代打で対外試合初打席に送ったところ――。

 「簡単に2ストライクに追い込まれて、そこからファウルを何本打ったかな。粘ってフルカウントに持ち込んで、最後はフォアボールを取ったんです。野球選手として一番大事な精神的な強さを感じましたね」

 試合後のスタッフミーティングで「重点強化選手」に指定。徹底的に鍛えることになる。

 金本さんもその打席をよく覚えていた。

 「スライダーで追い込まれたんです。とにかく必死で食らいついて、11球くらい投げさせましたかね。フォークを投げられたらワンバウンドでも空振りしてたと思いますが、あのピッチャーは当時フォークを投げていなかったので助かりました」

 相手投手は法大からドラフト1位で近鉄に入団した同じルーキーの高村祐(現ソフトバンク投手コーチ)。「こっちもプロのバッターじゃないけど、高村もまだプロのピッチャーじゃない」。同期が相手で、気後れしなかったのも幸いしたようだ。

 オープン戦初打席でもぎ取った四球に限りない可能性を感じ取った浩二さん。金本さんは人一倍、いや二倍、三倍の猛練習でその慧眼に応えた。

 最初の2年は主に2軍で鍛え、三村敏之監督に代わった3年目の1994年後半から外野の一角をつかんだ。その後の活躍は周知の通りである。

 浩二さんが監督に復帰した2001年から2年間は全試合4番でフル出場。1492試合連続フルイニング出場の鉄人記録は1999年7月から始まっていた。

 だが、すぐに別れの時がやってくる。カープ女子で溢れチケット入手が困難な現在のマツダスタジアムと違って当時の本拠地は閑古鳥鳴く旧広島市民球場。球団にFA選手を引き留める財力はなかった。

 「不動の4番」はFAを宣言し、あろうことか浩二さんの親友、星野仙一監督率いる阪神へ。移籍1年目の2003年、「アニキ」は阪神18年ぶりの優勝に貢献する。

 「当然、慰留したんですけどね。事情があって…」と無念さをのぞかせた浩二さん。複雑な思いが胸を去来する。

 タテジマのユニホームを着た金本さんの活躍がなかったら、1月4日に亡くなった親友の昨年の殿堂入りはあったかどうか。

 「本来なら星野仙一がここでスピーチすべきだったと思いますが…」と話したあと、「できれば2人でやりたかったな」と言い直した。(特別編集委員)

 ◆永瀬 郷太郎(ながせ・ごうたろう)1955年、岡山市生まれ。野球記者歴36年。1980年代は主に巨人と西武を担当した。

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