今明かされるソフトB日本一の裏側(下)結束生んだ「贈る言葉」

[ 2015年1月21日 11:29 ]

阪神との日本シリーズを制し、選手らの手で10度、宙を舞った秋山監督

 阪神との日本シリーズを控えた10月22日。チームは福岡市内の焼き肉店で決起集会を開いていた。ただ、シーズン前に行われる球団フロントも加わっての本格的なものではない。監督、選手、スタッフら「内輪」で開いたささやかな宴だった。

 ビールの空き瓶が増える、増える。心地よい酔いが、秋山監督への見えない「壁」を低くした。いわゆる無礼講だ。最初はためらっていた周囲の選手は一人、また一人とビール瓶を傾ける。男はひたすら杯を受け続けた。日本一を決める舞台へ進出した喜び。あとひとヤマ越えれば6年の重責から解放される。複雑な感情の交錯が、これまで選手たちに見せなかった「激情家」の顔を見せる。

 「日本シリーズはアピールの場だと思って、伸び伸びとやってほしい。勝ち負けの責任は俺が取る!」

 感動的な締めのあいさつは涙により、そこにいた全員の魂を揺さぶるだけの力があった。号泣だ。誰もが驚きを隠せない。内川は「最初は(移籍4年目の)俺なんか、泣いちゃいけないんじゃないか」と考えた。だが、見渡せば同じ移籍組だった細川、五十嵐が、もらい泣きしていた。「泣いていいんだ」と思った瞬間、背番号1の後継者は両目からとめどない涙を流していた。

 喜怒哀楽は見せない。それは相手ベンチに「不動心」である姿を見せること、チームへも毅然(きぜん)とした指揮官でいたかったからだ。ただ、それは裏を返せば「口下手」に見える。大量の酒はその仮面もはぎ取る。内川には「小さいことでくよくよするな。俺は内川聖一だと堂々と野球をしろ」。松田には「おまえに言うことは何もない。そのまま、やってくれ」。それぞれへの「贈る言葉」は岩より固い結束を生んだ。「監督をもう一度、胴上げする」とその場にいた全員が、心に刻んだ。

 あの騒動が始まった日から17日目の10・30。日本シリーズ第5戦を制し、ヤフオクドームで10度、舞った。最後は涙はない。最高の笑顔だった。

 それから約1カ月半がたった。ちょうどチーム便がハワイに到着した12月9日、千晶夫人は神経膠芽腫(こうがしゅ)のために天国へ旅立った。55歳だった。「今は“感謝”と“ありがとう”の言葉で妻を送りたい」。そう、語っていた指揮官は葬儀を終えるとチームと入れ替わるように遺骨とともにハワイへ飛んだ。そこには、千晶さんの大好きだった海がある。連れて来られなかった優勝旅行だった。一人の夫に戻った男は、青い海へ骨をまいた。「ありがとう」の思いとともに。=終わり=

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2015年1月21日のニュース