東海大菅生・若林監督 「オヤジ」貢さんの背中追いかけて

[ 2015年1月21日 11:00 ]

9年ぶりセンバツを狙う東海大菅生の若林監督

 第87回選抜高校野球大会(3月21日から12日間、甲子園)の出場32校が、23日に行われる選考委員会で決まる。注目の候補校を3回にわたって紹介。第1回は元中日投手の若林弘泰監督(48)が率いて昨秋東京都大会を18年ぶりに制し、9年ぶりのセンバツ出場が有力な東海大菅生。

 苦しい時にはいつも「オヤジ」の背中を思い出した。東海大菅生の若林監督は昨年5月、東海大相模時代の恩師・原貢氏(享年78)を亡くした悲しみを越え、自身初の甲子園を確実とした。「やっとここまで来られた。今までやってきたことは間違いじゃなかったと思った。オヤジさん(貢氏)に良い報告ができるように、と思いながらやってきた」と振り返った。

 97年にプロ生活に別れを告げ、佐川急便などに勤務。それでも野球への情熱は冷めず、指導者の道を選択。教員免許を取得した。念願かなって07年に東海大菅生へ赴任し、09年から野球部監督に就任。就任当初はノックはコーチに任せるなど「今と比べると選手との距離があった」という。夏の西東京大会も13年までは8強が最高。甲子園が遠かった。

 「何かを変えなければ」と考えた時「オヤジ」の姿が浮かんだ。「オヤジさんのノックは緊張したけど楽しかったなとか、一緒に風呂入っていろんな話をしたなって。オヤジさんは試合でどんなことがあっても怒りを引きずらなかった」。昨春からは、自らノックを打ち始めた。「自分が先頭に立ってやることで、チームにも良い緊張感が出た」。選手との距離は縮まり、昨夏西東京大会準優勝、昨秋はついに東京都大会優勝を果たした。エース勝俣は「先生は怒る時は怒る。でもそれ以外は丁寧に相談に乗ってくれます」と話す。

 昨夏、西東京大会決勝で敗れた後には先輩の巨人・原辰徳監督から「センバツに向けて頑張れ」と激励された。「たくさんの人が応援してくれている。また良い報告をしたい」。オヤジの存在は偉大だが、その道を確かめるように歩み始めた。

 ◆若林 弘泰(わかばやし・ひろやす)1966年(昭41)4月22日、神奈川生まれの48歳。東海大相模―東海大、日立製作所を経て91年ドラフト4位で中日に入団。95年に1軍デビューし、8月10日の巨人戦でプロ初勝利。通算17試合1勝1敗。97年現役引退。09年から東海大菅生野球部監督に就任。社会科教諭。

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