9秒台スプリンター桐生祥秀 うれし涙は20年東京五輪で

[ 2017年9月24日 10:42 ]

日本人初の9秒台となる9秒98をマークし、タイムが表示された電光掲示板とともに笑顔の桐生
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 桐生祥秀の反応は、予想以上に鋭かった。「世界大会の準決勝で9秒台を出して敗退するのと、10秒台でも決勝進出なら、どちらを選ぶ?」。こちらが投げかけた問いに、まったく悩むことなく即答した。「そりゃ、決勝進出でしょ。やっぱ、大事なのは勝負。決勝で走りたい」。3年ほど前に聞いたこの言葉に、スプリンターとしての桐生の本質が表れているように思う。

 “10秒の壁”が崩壊してから、2週間が経過した。9月9日、日本学生対校選手権の男子100メートル決勝。ライバルの多田に先行を許したが、逆転してトップでゴールに飛び込んだ。勝負にこだわる桐生だから、9秒98で2位になるくらいなら、10秒01での優勝を望んだのではないか。日本選手権で敗れた多田に勝った上で記録を出したことが、桐生にとっては大きかったに違いない。

 私は別の取材で9秒98の現場にはいなかった。歴史的レースを目撃した同僚記者によると、指導する土江コーチ、後藤トレーナーは泣いていたが、桐生の目に涙はなかったという。桐生はうれしくて泣いたことが一度だけある。洛南高2年時の12年、全国高校総体。目指していたのは、各種目の順位を得点化して争う学校対抗での総合優勝だった。

 100メートルは4位、200メートルは7位。ともに優勝候補だったが、大会前に発症した腰痛の影響で結果を残せなかった。最終種目の1600メートルリレー決勝。2走の桐生は、専門外の400メートルを懸命に駆けた。チームは3位、そして総合優勝が決まる。先輩も同級生も後輩も泣いていた。個人種目の悔しさはあったが、みんなでつかんだ歓喜に「自分も泣いた。少しですけどね」と照れながら明かしたことがある。

 13年4月に10秒01をマークしてから4年。近年の短距離界で最前線を駆けていたため、ベテランのように錯覚するが、まだ21歳だ。13年9月、東京での五輪開催が決まった時には、「東京オリンピック!!24歳やな!めっちゃええ感じの時や〜」と自身のツイッターに書き込んでいる。あと3年。9秒台スプリンターはさらに加速する。TOKYOのファイナル、表彰台でのうれし涙を目指して。(記者コラム・杉本 亮輔)

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2017年9月24日のニュース