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男子フィギュア新時代に…16大会目初メダル

[ 2010年2月20日 06:00 ]

 【男子フィギュアスケート】過去の五輪15大会に延べ26選手を送り込み、入賞4回にメダルはなし。日本男子フィギュアの成績は決して胸を張れるものではなかった。

 1932年のレークプラシッド大会で老松一吉が日本男子として初めて五輪に挑戦し9位。64年インスブルック大会では現在、小塚のコーチを務める佐藤信夫が8位に入った。76年インスブルック大会で佐野稔が9位、80年レークプラシッド大会で松村充が8位となったが、その後は低迷。02年ソルトレークシティー大会でようやく本田武史が4位に入賞し、これがこれまでの日本勢の過去最高順位となっていた。

 しかし、今大会でついに歴史が変わった。日本スケート連盟の強化部関係者は「この原点には、やはり野辺山の存在が大きい」と口をそろえる。92年、長野県南牧村の野辺山にあるリンクで始まった「有望新人発掘合宿」は、1期生にトリノ女王の荒川静香、男子では本田武史が名を連ねたことで有名だ。特に、競技人口が少なく、全国レベルでの強化方針、指導方法が確立されていなかった男子にとっては大きかった。関係者も「日本中のどこに埋もれているか分からなかった才能を、効率的に育成することができるようになった」と振り返る。

 ジュニアより下のノービス(小学生)時代から海外遠征を積ませることで、技術だけでなく、表現力でも欧米を学ぶチャンスが増えた。今回出場している3人全員が世界ジュニア王者で、育成は軌道に乗った感がある。吉岡伸彦監督は「3本の矢で戦えたのが大きい」とトップ層の厚さがメダル獲得の要因となったと分析する。また、男子の技術が4回転で頭打ちになっていることを指摘し「(世界の)トップが天井を突き破らない間に、日本が追いつくチャンスが生まれた」と話す関係者もいる。

 高橋の銅メダルが日本男子勢のエポックとなるかどうか。競技人口は少しずつ増加しているものの、それでも男子は全国で1000人にも満たない。トリノ五輪後に男女とも希望者は増えたが、リンクの減少により受け入れ先がないのが現状だ。バンクーバーで得た財産を、人材発掘、育成、強化へとつなげてこそ、金メダルへの道は見えてくる。

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2010年2月20日のニュース