彦摩呂も所属の人気グループを襲った悲劇 田中律子も涙「どんな気持ちで踊っていたのか…」

[ 2022年1月27日 13:21 ]

タレントの彦摩呂
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 1980年代後半に活動し、人気を博した男性10人組「幕末塾」が、27日放送のテレビ朝日系「あいつ今何してる?復活2時間SP」(水曜後7・00)にVTR出演し、デビュー前のグループにまつわる悲劇を明かす場面があった。

 88年、秋元康氏のプロデュースで、「TM NETWORK」のカバー曲「Come on Let’s Dance」を引っさげデビュー。硬派な雰囲気とアクロバティックなパフォーマンスで、若い女性に人気だった。

 収録には、元メンバーで現在、グルメリポーターとして活躍する彦摩呂をはじめ、10人中8人が集まった。新兵衛さんはデビューに際し、人数の削減を求められたが、「いろんな事件が起きたから、この子たちを人選できなかったんですよ。『嫌です。絶対10人じゃなきゃ嫌です』って」と、10人でのデビューにこだわったことを告白した。

 その理由は、デビュー前に起きた悲しい事故にあった。東京・原宿の歩行者天国で、デビューに向け活動していた当時、実は11人組だった。新兵衛さんは「もう一人、長谷部正仁さんという、(芸名が)『正志郎』という人が、北海道旭川出身の方がいて」と明かした。楽曲にはバック転、バック宙をするパフォーマンスが盛り込まれることになり、日々の練習で一人ずつ、できるようになっていったという。

 最後まで苦戦していた長谷部さんも、ついにバック宙ができるようになり、メンバー数人の前で披露した。ところが、失敗して首から落下。その瞬間を、小次郎さんは「僕は目の前で見てたんですけど、『僕、できたから、見て見て!』と。ぱっと見たら、首から落ちまして。顔が紫色になって、泡が噴き出して。ばーっとみんなが集まって、『長谷部ちゃん、死んだらあかんで!』って。とにかく救急車を呼んで」と振り返った。

 彦摩呂が公衆電話で119番通報をし、病院に運ばれたが、長谷部さんは頸椎骨折のため死亡が確認された。23歳の若さだった。同じ夢を持った仲間の不慮の事故を告白するメンバーも、聞いていたメンバーもみな、涙をぬぐっていた。

 残った10人は、優勝者にデビューが約束されていた「ナイスガイ・コンテスト」に出場。長谷部さんが目標にしていた大会でもあり、グループは弔い戦に挑んだ。彦摩呂は「その先のことは考えてなかった。それしか考えてなかった」と、当時の思いを口にした。

 しかし、結果は準優勝。優勝したのは吉田栄作だった。新兵衛さんは「準グランプリで僕ら、泣き崩れてるんです。準グランプリを取ってうれしいんじゃなくて、約束を果たせなかったということで泣き崩れた」と振り返った。黒之助さんは「それもあったから、新兵衛はどうしても10人でという気持ちが強かった」と、新兵衛さんの心中を察した。

 番組では、同じく88年デビュー組の西田ひかる、田中律子、相田翔子の仲良し3人組が集結し、VTRを見守った。「全員、見たい」と期待を口にしていたが、メンバーの知られざる真実が明かされ、3人は思わず涙を浮かべた。歌番組で共演歴のある田中は「どういう思いでみんながでデビューして、あの踊りをみんなで踊っていたのかと思うと、ちょっと…」と複雑な心境を明かした。

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2022年1月27日のニュース